上階の共同トイレから汚物が落ちてくる音が…日曜劇場では描きにくい軍艦島の超過密空間のリアルな暮らし
■居住区域でも人口過密ならではの音の問題があった 居住区域においては、ほとんどがRC造の建物で、高い防音性を備えていた。端島の建築物は音よりも防潮、防風が最も重要な課題であり、そのための構造として分厚い壁の廊下などが設けられていた。これが結果的に防音につながったとも考えられる。 とはいえ、「隣人のテレビやラジオの音がやかましかった」といった元島民の言葉も残っており、防音は必ずしも完璧だったというわけではなかったようだ。また、共同トイレなどでは、汚物が通る管が上層階から下に延びており、上から「落ちてくる音」が聞こえたという話もある。 そもそも端島のような超過密空間で、生活音の問題を完全に解決するのは難しかったと考えられる。しかし、元島民によると戦後の最盛期の端島が大都市より住みやすかったのは、住民たちの共同体意識も作用していたのではないかと推測している。 端島では、プライベートな空間と公共の空間という敷地の境界線が希薄で、共用の空間が多い。そういった空間で醸成された住民たちの共同体意識が良い方向に働き、音の問題があまり顕在化せず、暮らしていけたのだと考えられる。 ■内風呂付きの住居はわずか、海水も使われた共同浴場の実態 新たに内風呂付き職員宅が建設されるまで、島内で内風呂があったのは1950(昭和25)年に造られた鉱長社宅のみだった。その他の住居には風呂がなく、住民たちのほとんどは閉山時まで共同浴場を利用し、職員や鉱員は炭鉱施設内に設置された浴場を使用していた。給湯は、鉱場内のボイラーを使い、蒸気管と水の管を別々に導入し、浴槽内で混合して風呂を沸かしていたという。 仕事を終え、体中を真っ黒にして地上に戻った鉱員は坑内風呂といわれる鉱員専用の風呂に向かった。大きめに造られた風呂は第一槽と第二槽に分かれ、「作業着洗い」と書かれた立て看板のある第一槽に作業着のまま入ってじゃぶじゃぶと炭を洗い落とし、第二槽に移動して身体を洗う。第一槽の坑内風呂は炭が混ざり、いつもお湯が真っ黒だったという。