「プロレスを見て泣いたのは、たった一度だけ。あれから8年…」WWEの舞台で中邑真輔と果たした運命的な再会【清野茂樹アナ連載#5】
昨年10月、SNSの総フォロワー数が世界で10億人を超えるアメリカが誇る世界最高峰のスポーツエンターテイメントであるWWEのメイン大会「RAW」と「SMACKDOWN」の放送が日本で開始された。さらに今年1月27日(日本時間28日)に行われた「ロイヤルランブル」以降は、放送席の陣容を一新。自他ともに認める“WWEウォッチャー”の清野茂樹アナウンサーらが加わった。そんな清野アナが、自らの実況回ごとにWWEの魅力や楽しみ方を振り返る連載コラム。第5回目のキーワードは「涙の別れと運命の再会」。清野アナが明かした人気プロレスラー・中邑真輔への8年ぶりの思い。 【映像】実況として感動の再会を果たした中邑真輔の試合
■「僕も試合で泣いたの、初めてですよ」渡米前、中邑真輔ととあるカフェで
プロレス観戦歴43年の私が、試合を見て泣いたのはたった一度だけです。忘れもしない、2016年1月30日の後楽園ホール。中邑真輔の新日本プロレス最後の試合でした。 客席は「真輔」と書かれた赤いボードで埋め尽くされ、試合後、仲間のレスラーに囲まれた中邑も泣いていました。実はこの日の私は実況の担当ではなく、会場の最後列で立って見ていただけです。新たな挑戦をしようとする中邑真輔の旅立ちを遠巻きに見ているだけの自分。これまで過ごした日々を思い出すと、涙が溢れてきたのです。 私が新日本プロレスの実況の仕事に就いたのは、そこから遡ること10年前の2006年。今となっては信じられないと思いますが、団体の人気はどん底で、私が座る放送席周辺はいつも空席だらけ。かく言う私もフリーになって間もない頃で、仕事が軌道に乗っていませんでしたから、「なんとか中邑をスターにしたい!」という思いでマイクに向かっていました。 そして、中邑真輔は私にとっては大学の後輩でもあります。6歳離れているので在学中の接点はありませんが、常に気を遣ってくれていたように思います。大学時代はレスリング部と美術部に所属していた彼はサブカルも好きで、私が企画する数十人規模のトークイベントや深夜3時のラジオにも気軽に出演してくれました。「イヤァオ!」という叫び声とともにカリスマ性を手に入れてからも、その姿勢は変わりません。 さて、話を2016年に戻します。先に述べた壮行試合から約1か月後、中邑真輔のWWE入団が発表されました。現地でのメディカルチェックなどを終え、本格的な渡米を控える彼の自宅近くのカフェで待ち合わせたのも忘れられない思い出です。 「プロレスの試合を見て泣いたの、初めてですよ」 「僕も試合で泣いたの、初めてですよ」 コーヒーを飲みながらそんな会話を交わし、用意していた餞別を手渡して別れました。やがて、NXTに登場したシンスケ・ナカムラはサミ・ゼインを相手に鮮烈なデビューを飾り、その後の活躍はご存知の通り。しかし、メッセージアプリやSNSでのやりとりはあっても、私はあの日から一度も会っていません。いや、それどころか、試合を実況することも二度とないだろうと思っていました。