巨人では「押し潰される」 “兄弟合わせて1.5億円”異例の争奪戦…西武が制したワケ
巨人に抱いた不安「押し潰されてしまうのでは」…西武を選択
ジャイアンツとの会談からそんなに日を置かず、西武との交渉に臨んだ。根本陸夫監督は「兄弟2人でこの新しいチームを手伝ってくれないか」と来た。松沼氏は回想する。「そこは、さすがは“親分”と呼ばれる方ですよね。いかにも『2人とも1軍の試合で起用するから』みたいな迫力が物凄く伝わってきたんですよ」。 伝統のジャイアンツと新生ライオンズの選択。決定打は「西武は新しいチームだし。多分本当に起用してくれるんじゃないかな、と考えました。僕は使って貰えれば、やれるという自信がありました。巨人は人気チームなので押し潰されてしまうのでは、と変な不安があったんです」。 1979年1月12日。松沼兄弟は西武と正式契約を結んだ。発表前には堤義明オーナーが東京ガスを訪れ、兄弟の獲得に関して最終的な挨拶を済ませていた。契約金は2人合わせて推定1億5000万円で、巨人の提示額より多かったと報じられた。当時としては破格の条件だった。松沼氏は「金額? 知らないけどね」と笑う。 松沼氏は4月12日の阪急戦(平和台球場)に先発し、プロ初登板を果たした。2番手は雅之氏。根本監督は言葉通り、兄弟をデビューイヤーからきっちりフル回転させていくのだった。
西村大輔 / Taisuke Nishimura