「チャイコフスキーの妻」“死んだはずのチャイコフスキーが蘇る”シーンと著名人コメント公開
夫である作曲家ピョートル・チャイコフスキーを盲目的に愛して“世紀の悪妻”との汚名を着せられたアントニーナの物語を、鬼才キリル・セレブレンニコフ(「LETO -レト-」「インフル病みのペトロフ家」)が大胆な解釈で描き出し、第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された「チャイコフスキーの妻」が、9月6日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国で順次公開される。“死んだはずのチャイコフスキーが蘇る”冒頭シーン映像、ならびに著名人のコメントが到着した。 「チャイコフスキーの妻」本編映像+予告編 時は1893年。斎場でチャイコフスキーの亡骸が息を吹き返し、アントニーナに怒りの言葉を浴びせる──。現実と妄想に引き裂かれたアントニーナの視点による、残酷な愛のドラマが幕を開ける。 撮影を担ったのは、セレブレンニコフ監督作「インフル病みのペトロフ家」でカンヌ国際映画祭バルカン賞(※優れたスタッフに贈られる技術賞)を受賞したウラジスラフ・オペリヤンツ。流麗な映像とともに物語を味わいたい。
〈コメント〉
純愛、夫婦愛、兄妹愛、愛惜、愛憎、愛が人を蝕んでいく様子を詩的に描写したスクリーンの芸術。従来的な性規範と、近代芸術家像を崇拝する物語の(社会の)構造を目の前に、チャイコフスキーの妻をなんと形容しますか? ──和田彩花(アイドル) 女性の自由も人権もないに等しかった19世紀末のロシア。誰もが名を知る音楽家が望んでいた借りものではない生き方も、その才能に身を焦がした妻の苦悩も、これまでは強固なレッテルによって見えなかった。社会から“ほとんどないこと”にされてきた人々を改めて照射し捉え直すという監督の意志にも胸をつかんで揺さぶられた。 ──奥浜レイラ(映画・音楽パーソナリティ) 魅力に溢れつつも、実に恐ろしい映画だった。 演劇出身のロシアの奇才キリル・セレブレンニコフ監督が2つの分かりあえない愛を描く。 当時マイノリティとして社会から排除された2人が己の生存のための見返りを求める愛ゆえ、主人公は自らを傷つけ狂気の世界へ誘われる。 キリル監督は同じチャイコフスキーを描いたケン・ラッセルの『恋人たちの曲 悲愴』とは違い、あえて現代人の分断と苦悩を等身大で描いているかのようだ。 私には祖国を愛するがゆえに、反逆者とされたキリル氏と重なってうつる問題作だ。 ──宮本亞門(演出家) 男性のための社会、世間体のための結婚が生み出す、愛されない苦しみ。 執着に蝕まれる妻が見た絶望と狂気の世界は、現代のロシアにも続く男根主義の牢獄だろうか。 ──ブルボンヌ(女装パフォーマー) 人間は完璧じゃない。天才でさえも。 ロシアを追われたセレブレンニコフ監督がチャイコフスキーのタブーに挑む。かつて女性の欲望がこんなに深く美しく醜く描かれたことがあっただろうか。 ──上田洋子(ゲンロン代表、ロシア文学・演劇研究者) 不穏なハエの羽音、「世紀の悪妻」という一面的なパースペクティブ、観客が期待するイメージの背後にある、絡み合う社会の歪みを考えさせられる。 ──松岡宗嗣(ライター) 出てくるキャストの容貌が、脇役に至るまで実際の人物に瓜二つ。当時の世界を本当に覗き見ているようでした。 純愛を装ったアントニーナの執着が徐々に狂気じみていく異様さと救いようのなさに目が離せない作品でした。 実際の彼女はもっと幸せだったことを祈りたいです。 ──naco(厳選クラシックちゃんねる) 「妻」の座しか与えられない抑圧的な社会にあって「永遠の愛」を手に入れようとする女。性的指向から妻の存在そのものを「地獄」と感じて忌避する天才芸術家。セレブレンニコフ監督は、妄想と狂気の様相を帯びてゆく愛をアントニーナの視点で描き、彼女の悪妻伝説もチャイコフスキーの聖人像もふたつながら破壊してみせた! ──沼野恭子(東京外国語大学名誉教授、ロシア文学者) 「チャイコフスキーの妻」 ©HYPE FILM - KINOPRIME - LOGICAL PICTURES – CHARADES PRODUCTIONS – BORD CADRE FILMS – ARTE FRANCE CINEMA 配給:ミモザフィルムズ