退団決意する「冷たい対応」も…プロ野球、オフに選手&監督を“ムカッ”とさせた球団幹部の言葉
1999年、ダイエーは球団買収後、初のリーグ優勝と日本一を達成。工藤も11勝を挙げ、最多奪三振(196)と最優秀防御率(2.38)の二冠に輝いた。 ところが、10月下旬に数回行われた契約更改の下交渉で、球団側と折り合わず、交渉決裂。11月1日、工藤は「僕の嫌いな駆け引きをされて、これ以上はどうしても無理だと思った。もう気持ちは出るしかないと思っている」とFA宣言した。 契約交渉の“密室”の中で、一体どんなやり取りがあったのか? 工藤自身が同8日に公表したファン宛てのメッセージによれば、話は西武からFA移籍した5年前の契約交渉に遡る。当時の担当者は破格の契約条件を提示したが、工藤は「優勝に貢献できたときに頂きたい」と固辞し、現状維持で契約した。 だが、日本一達成後の契約交渉で、当時の経緯を知らない担当者によって、従前の報酬をベースに条件提示されたことが、行き違いの原因となる。さらに高塚猛球団代表に「工藤君の登板の火曜日は一番客の入りが悪い」と言われ、「この1年間の努力は何だったのか」と虚しい気持ちになったという。 ちなみに同年、工藤が火曜日に投げた本拠地開催1試合あたりの平均入場者数は3万2200人で、水曜の2万8900人、木曜の2万5875人を上回っている。土日の4万5958人より少ないのも、平日の火曜なら当然の結果と言えるのに、「客の入りが悪い」と年俸を抑えようとするのは、「年俸は本当だったらダウン」の主張と併せて、「駆け引き」と思われても仕方がない。 その後、中内功オーナーが高塚代表に代わって工藤に謝罪し、残留を要請したが、覆水盆に返らず。工藤は「巨人で男の花道を飾ってほしい」という長嶋茂雄監督の口説き文句に心を揺さぶられ、ダイエーを去った。 年俸交渉に代理人の同席が認められた直後、「代理人を連れてきたら年俸カット」の問題発言がクローズアップされたのが、巨人・渡辺恒雄オーナーだ。