根室空襲で沈没「東裕丸」新事実明らかに 5月3日講演
1945年7月の北海道空襲で、室蘭に次ぐ犠牲者を出した根室空襲。市街地の8割を焼失した陸上空襲に加え、海上でも多くの船舶が犠牲となり、戦後しばらく謎のままだった徴用船「東裕丸」。憲法記念日の5月3日。戦争の悲惨さ、過酷さを伝える新たな事実について、根室空襲研究会事務局長の近藤敬幸さん(93)が講演する。 根室空襲は、盂蘭(うら)盆の1945年7月14~15日にかけて行われた。特に15日は晴れ渡った空に突然、米軍機120機が飛来。爆弾と機銃掃射で街の8割を焼失、死者約400人を数えた。千島列島への物流拠点だった根室港周辺には徴用船など128隻が沈没しており、いまだに詳細が不明のままだ。 中でも「東裕丸」(1255㌧)は、同研究会がまとめ93年に発行した「根室空襲」(A5判526㌻)にもわずかな記述があるだけ。14日に根室港で空爆を受け、温根沼沖まで避難するも翌15日、米軍の艦載機80機に一斉攻撃を受け沈没した。根室市が市制施行した1957年当時も浅瀬だった温根沼には同船のマストの一部が確認できていた。 全員死亡と伝えられる東裕丸の乗組員や軍属の遺体は、春国岱や別海町走古丹などに流れ着いたことが分かっている。特に春国岱では荼毘(だび)に付す木々もなく、遺体を使って火葬した事実があるという。これまで表面化していなかった話で、当時を記憶する近藤さんが「戦争の悲惨さ、過酷さを改めて感じてほしい」と明らかにする。 ねむろ「九条の会」が主催する、5月3日午後1時30分からの「2024年憲法記念日のつどい」では近藤事務局長が「さまよう東裕丸~根室空襲の知られざる真実~」と題して講演する。会場は市総合文化会館第2講座室。参加無料。
釧路新聞