誰の物語に共感する?安アパートで暮らす4人の生き様が交差する、昭和レトロな人情群像劇『コーポ・ア・コーポ』とは
昭和の風情が残るアパートを舞台に、そこに暮らす“訳あり”住人たちの生活を描いた『コーポ・ア・コーポ』が11月17日(金)より公開される。岩浪れんじの同名漫画を原作にした本作は、貧しさや社会からの疎外感などを感じている人々の姿を等身大の目線で描写しながらも、どこまでも飄々とした雰囲気を貫き通す。どこかノスタルジックな空気感も相まって、なんとも愛らしい人情群像劇に仕上がっている。 【写真を見る】岩浪れんじが描きだした秀逸な人物描写がそのまま実写映画に! ■日本映画の名作にも通じる幕開け、アパートを舞台にした群像劇の新たな秀作 大阪の安アパート「コーポ」。ある朝、大家の家賃回収に住人たちがてんてこ舞いとなるなか、住人のひとり、山口が自室で首をつった状態で発見される。皆で協力してご遺体を引っ張り下ろしたその部屋には、山口が生前、癖のように拾い続けてきた家電製品が無数に置かれていた。住人たちはそこからそれぞれ欲しいものを運びだし、山口の部屋に残されていたキュウリまでをも分け合う。しかし石田は、山口が死を選ぶ前に金を貸してほしいと頼まれたが、断ってしまったことに後悔の念を抱いていた。 こうした多様な登場人物たちが一つのアパートのなかで生活を送る特殊で昭和的な舞台設定といえば、著名な漫画家たちの青春時代を描いた市川準監督の『トキワ荘の青春』(96)や、京都を舞台に大学生たちの奇想天外な群像を描いたアニメ「四畳半神話大系」など、様々な傑作が生みだされてきた。境遇も性格も、年齢も性別も異なりながら、皆一様に決して裕福ではないという共通点を持ち合わせる。そうして集まった者たちが交差してつながり、それぞれのドラマが構築されていく。 とりわけ本作における、“住人のひとりが首をつって亡くなる”という事件から始まる導入は、山中貞雄監督の『人情紙風船』(37)を彷彿とさせる。戦中に作られた江戸の人情時代劇のエッセンスが、2000年代の大阪の片隅を舞台にした物語で感じられるというのは予想外の驚きだ。 映画はそこからユリ(馬場ふみか)と石田(倉悠貴)、中条(東出昌大)、そして宮地(笹野高史)の4人の登場人物にフォーカスを当てながら、各々のバックグラウンドや現在進行形の悩みを描写するエピソードを順を追って展開していく。そこで見られるのは、ごく典型的な“スライス・オブ・ライフ(日常の一コマを切り取る)”の手法であり、あらかじめ言っておけば、その果てには群像劇に必要な登場人物たちが一堂に会する穏やかな大団円も待ち受けている。それぞれのエピソードをキャストと共にざっくりと紹介していこう。 ■個性豊かな住人たちが抱える、それぞれの“現在” 居酒屋の店員として働くユリの元に、弟のカズオ(前田旺志郎)が突然訪ねてくる。祖母が入院したと聞き、一緒に病院に見舞いに向かうことになるのだが、そこでユリは兼ねてから折り合いの悪い母親(片岡礼子)と鉢合わせしてしまう。さらにカズオから、同棲相手が妊娠したという相談を持ちかけられ、その際に言われた言葉でユリは複雑な気持ちを味わってしまう。 ユリを演じるのは馬場ふみか。『AWAKE』(19)、『恋は光』(22)、『ひとりぼっちじゃない』(23)と、ここ最近女優としての活躍目覚ましい彼女が、金髪にスカジャン姿でタバコをふかし、猫を愛でる。ぶっきらぼうながら、時折見せる行動の丁寧さ。いくつものアンバランスさによって多くを語らずともユリというキャラクターの複雑なバックグラウンドが体現されていく。 一方、日雇いの建築現場で働いている石田は、すぐ激昂してしまう性格。そのせいで休んでいた仕事に復帰した日、新しく入ってきたアルバイトの女子大生、高橋(北村優衣)と出会い、彼女にささやかな好意を抱くようになる。いつの間にか高橋はユリらコーポの住人たちとも親しくなるのだが、石田は彼女に「住む世界が違う」という劣等感を持つようになる。 この石田役の倉悠貴は、『こいびとのみつけかた』(公開中)に続いて不器用な青年役がよく似合う。同作と不器用さの方向は異なるが、強い目力と感情のやり場を見失った時の戸惑いのギャップは本作でも見受けられ、また雨の夜に高橋を送りに行く際のビニール傘を開く仕草が良い味を出している。 どんな時もスーツ姿で、文豪のような独特なしゃべり方をする中条は、女性を口説き、架空の身の上話で金を貢がせながら生活をしていた。様々な女性と偽りの関係を築く彼は、人知れず苦悩を抱えるようになり、ある夜コーポの廊下でたまたま顔を合わせたユリにとある身の上話を語りはじめる。 中条を演じた東出昌大に関してはどの作品で観ても群を抜いた存在感を放っており、パリッとしたスーツ姿の雰囲気こそコーポとは不釣り合いではあるが、案外誰よりもコーポの飄々とした感じが似合っている。 そして、いつもコーポ前の自動販売機周りに小銭が落ちていないかと探している宮地は、コーポの2階でストリップショーの興行師をしながら日銭を稼いでいた。ある日、河川敷で見かけた少年を客として誘うのだが、彼が友人を連れてきたことで宮地の日常に小さな変化の機会が訪れる。 ベテランの笹野高史は言わずもがな。良い意味での胡散臭さが前述の若者たちを中心とした群像に珍妙なアクセントを与え続け、自身にフォーカスしたエピソードで、封印していた貫禄を一気に放出する。ちなみに、住人のひとりでありながらもその素情が描かれず、いつも住人たちにタバコの交換をせがんでくる恵美子役の藤原しおりも非常に気になる存在だ。 ■1本の映画で4本分のドラマを味わう! 家族関係の不協和やどこまでも不器用な恋模様、誰かに自分の身分を偽ることで自分を見失ってしまう男の悲哀、そして誰もがいずれ到達する老い。それぞれ異なるテーマをもった4つのエピソードが、一つのコーポという舞台設定のなかに凝縮され、一つのれっきとした映画を作りあげる。 オムニバスのような読後感を有しつつも、それぞれの出来事が誰かの物語にたしかに影響を与え、目に見えるかたちでひとつにつながっている。実に丁寧に作り込まれた正統派なヒューマンドラマの手応えだ。 なにか劇的な出来事が起こるわけでもなく、オフビートなトーンを維持し続けたまま、これだけ説得力のある物語に昇華させるには、脚本と演出、そして演技の三拍子がきちんと揃い、盤石のバランスを保つ必要があるだろう。そういった意味でも、人物描写の解像度がこの上なく高い原作があり、庵野秀明や岩松了ら強烈な感性をもつ作家のもとで助監督を経験した仁同正明監督の手腕と、安定感をもったキャスティングの妙味がある。これはもう納得せずにはいられない。 「ぼちぼちええ塩梅で生きとった」。終盤のシーンで宮地が言うこのセリフに、この映画のすべてが集約されるように、どんな生き方にもはっきりとした答えを提示する必要もなければ、沈んで考え込む必要もない。ただちょっとだけ前を向いて、限りなく普段通りに自分の日常を送ればいいと。そんな住人たちの姿に、知らず知らずのうちに肩の力が抜け、自然と笑みがこぼれることだろう。 文/久保田 和馬