『魔女の宅急便』は「魔女をよく調べないで書いた」角野栄子。27年ぶりに新装版で出版した魔女のエッセイと自身の“魔女観”を語るインタビュー
89歳になった現在も精力的に執筆を続ける児童文学作家の角野栄子さん。映画『カラフルな魔女』の公開、「魔法の文学館」(江戸川区角野栄子児童文学館)の開館といったニュースも続き、続々と新たなフォロワーを生み出している。ところで、角野さんのことは『魔女の宅急便』の作者と記憶している方も多いことだろう。このほど、そんな角野さんが初めて「魔女」について書いたエッセイ『魔女のまなざし』(白泉社:『魔女のひきだし』を改題)が、書き下ろしが加わって新装版で出版されたとのこと。早速、お話をうかがうことにした。
「魔女ってどういう人なのかな」と書いた本
――前作が刊行されたのは1997年。27年ぶりの新装版での出版ですね。 角野栄子さん(以下、角野):魔女についてのエッセイは時々書いていますけど、こうやってまとまっていると良いなと思っていたので、なんとか生き返らせてもらいたいと思っていたんです。そうしたら編集の方からちょうどお話をいただいて。 この本を書いた当時に「魔女っていうのはどういう人かな」ということで目的を持ってルーマニアを旅したんですけど、今回ちょっとその時のことを思い出しながら少し付け足して書きました。あの旅はすごくいろいろなことがあったんです。チャウシェスク政権が倒れてから2年弱くらいで、まだいろいろちゃんとなってなくて、とても厳しい旅でね。訪れたマラムレシュ地方は民俗的なものが丁寧に残っているところで、そこで出会う人々はとても美しかった。そういう暮らしを思い出しながら書いてみました。 ――魔女の捉え方は、書かれた当時と今とで何か変わった点はありましたか? 角野:そんなに違ってないですね。実は『魔女の宅急便』を書いたときは、物語を書くのが面白くって、魔女ってどういう人なのか調べないで書いたのね。当時は私も物書きとしては新人だったものですから、そんなに用意もなく、とにかくキキという女の子を書いてみたいっていう気持ちだったんです。 そうしたらたくさんの方が読んでくださって、映画もできて、『魔女の宅急便』の周辺がすごくにぎやかになってしまって、それで魔女ってどういう人なのか調べたいと思うようになったのね。そんなときにみやこうせいさんの写真(*)を雑誌で見てすぐにみやさんに電話して、「いっしょに行ってください!」って。 *写真家のみやこうせいさんが月刊誌『母の友』(福音館書店)で書いたエッセイに掲載した「ルーマニアの魔女」と題された白いスカーフをかぶったおばあさんの写真。この写真を見た角野さんは「今を生きる魔女がいるなら、ぜひ会わなければ!」と旅を即決したという。 ――てっきり先生は幼い頃から魔女のマネなどして親しまれていたのかと思っていました。 角野:ぜんぜん。もちろん『ヘンゼルとグレーテル』とか『白雪姫』とか、昔話の魔女は知っていますよ。でもみんなどっちかといえば悪い人でしょ。私はかわいい魔女を書いてしまったので、「これでよかったのかしら?!」って思ってしまって。キキは箒に乗って物をこっちからあっちに運ぶ人で、それがひとつの「魔法」といえば魔法なわけだけれど、それが果たして民俗学的にいう魔女の路線になるのか心配になったのね。だからちゃんと調べてみなくちゃいけないなって思っていたの。 ――なるほど。で、どうだったんでしょう? 角野:ルーマニアでは魔女的な人たちのことを、魔女ではなく「フラジトワレ」って呼ぶんですね。そしてそれは昔話に出てくるような悪い人ではなくて、祈祷をしたり、自然界から何かいいものを獲ってきて家族を健康にしたり、そういう「まなざし」というものを持った人たちのことなの。よく自然を見て、そこからいいものを取り出していったということは、向こうの世界からこっちの世界にいいものを持ってきた人ということ。キキが運ぶ物にはいろいろな歴史があるし、託す人にも渡す人にも何か事情があるわけですよね。つまり彼女もこっちの世界とあっちの世界に物の受け渡しをしていく役割を果たして、自分も成長していくので、その意味ではあっていたわけね。ちゃんと「伝統的な魔女」だったわけです。