本名で活動する“人気セクシー女優”、娘と対話を続けた18年間を振り返る「担任の先生にも全てお話していた」
3日しか休みがなかった月も
――もともと業界に興味は抱いていたのですか? 黒木:ユーザーである男性に体を触らせずして、目の前にいるわけではないのに視覚だけで興奮させるってどんな仕事だろう?と思ってはいました。言ってしまえば好奇心ですね。せっかくなら飛び込んでみようと思って、ネットカフェのPCで色々と調べて面接に行きました。そして「宮村恋」としてデビューしたんです。 ――その時、何歳くらいでしたか? 黒木:私は27歳で、娘は2歳でしたね。メーカーへの面接周りがあっても、娘に熱があって預けられないこともよくありました。そういう時はマネージャーが面倒を見てくれていました。可愛い盛りだったせいか娘にデレデレで、よくお菓子を買わされていたようです(笑)。 ――微笑ましいエピソードですね。でも、当時は企画単体女優としてかなり忙しかったのでは? 黒木:デビュー直後から凄まじい現場ラッシュでしたよ。大きいのも小さいのも含めて毎日何かしら仕事があったので、月3日くらいしか休みはありませんでした。それでも、家にいる間は常に娘との対話に時間をあてていましたね。
本名で活動をし始めた理由とは
――2014年より本名の「黒木歩」で活動をスタートしています。これには何か理由があったのでしょうか? 黒木:「宮村恋」の仕事が落ち着いたタイミングで、少しずつ自分のやりたいことをやるようになったんです。セクシー女優の仕事だけでなく、映像編集、役者、音楽、監督などをそれぞれ別名義でやっていたので、結果として名前が多くなりすぎちゃったんですよね。頑張っているのは「黒木歩」一人なのに、バラバラの名前で評価されているのが納得いかなくて……。もしかしたら、別名義の自分に嫉妬していたのかもしれない(笑)。 ――だから、自身の活動をすべて本名で統一させた? 黒木:迷いはありました。これまで蓄積してきた結果も一旦リセットされることになるし、「もったいない」とも言われました。何より、最終的に娘が大きくなったら私の仕事のことがきっとバレてしまう。それでも、全責任は自分にありますから一本化しようと決めたんです。 ――この件について、娘さんには話はしたのでしょうか? 黒木:はい。当時娘は小学生で、本人に「こうやろうと思う」という決意表明はしています。「理解できるとは思わないけど、私はこうやって生きていく」と告げたのですが、「ふーん」という反応でした(笑)。