神村学園・有村圭一郎監督が気づいた“高校サッカーの勝ち方” 「最初の3年間は『足りない』ばかり言っていた」
12月28日、第102回を迎える全国高校サッカー選手権大会が幕を開ける。本年度も高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグを制した青森山田(青森県)、この夏にインターハイを制した明秀日立高校(茨城県)を筆頭に全国の強豪高校が名を連ねる。そこで本稿では、長年、高校年代の取材を続けてきた土屋雅史氏の著書『高校サッカー 新時代を戦う監督たち』の抜粋を通して、高校サッカー界の最前線で戦い続ける名将へのインタビューを公開。今回は、2014年に神村学園高等部(鹿児島県)の監督に就任し、近年は福田師王、大迫塁、名和田我空ら年代別代表選手を続々と輩出する有村圭一郎監督の指導哲学をひも解く。 (インタビュー・構成=土屋雅史、写真=アフロスポーツ)
最初の3年間は「足りない」ことばかりを考えていた
――2014年に神村学園高等部の監督に就任されて、そこから3年間は全国大会に出られなかったと思うんですね。特に選手権は3年続けて決勝で鹿児島城西に負けています。もちろん神村学園のスタンスとしては「勝てばいい」というだけではなかったと思うんですけど、この3年間は苦しい時期というイメージですか? 有村:いやあ、だいぶ苦しかったですね。結局、「高校サッカーの勝ち方」がわからなかったんですよ。もちろん負けようと思ってやっているわけではないので、どうやったら勝てるのかなということは探りながらやるんですけど、人間って勝つために必要なものを考えていったら、足りないものだらけなんです。「アレも足りない」「コレも足りない」みたいに不安要素ばかりが出てきて、そういうふうになると自分から先にその不安要素を削ろうとするんですよ。その3年間は「足りない、足りない」ということばかり言っていた気がします。「チーム力が足りないからああしよう、こうしよう」「人も足りないからああしよう、こうしよう」って。でも、実際は「足りない」と言っても仕方ないんだから、足りているもので戦えば良かったんですよ。それに気づいたのが監督になって3年目の橘田(健人)たちの年ですね。 最後に選手権の決勝で城西に負けて、全国には出られなかったんですけど、あの時のチームは本当に良いチームで、どんな試合になっても勝つと思っていましたから。でも、選手権が始まる直前にボランチの選手がケガをして、そこを埋めるのにいろいろ動かしてコンバートしなくてはいけなくなって、その年は城西に全然負けてなかったんですけど、その決勝だけ1点がどうしても取れなくて、バーやポストに当たったシュートも何本もあって、結局カウンターを食らって0-1で負けたんです。 ボランチのヤツがケガでいなくなった時に、僕が不安に感じてしまって、そこを埋めるために誰を使うかを迷ってコンバートしたりしていたので、やっぱりその時点で負けていますよね。だって、僕が感じていることなんて相手は知らないわけで、そのまま堂々と戦えば良かったのに、いろいろとやり方を変えたりして。 結局は僕が不安に思っていることが、選手たちにも伝わっていたんじゃないかなって。選手の立場からすれば、僕が「十分やれるから頑張って来いよ」と言うだけで全然違ったでしょうし、そういうふうに言葉として伝えていっているつもりの自分が、全然子どものことを信頼し切れていなかったんだなということを、その時に感じたんです。 保護者の方々もこっちがやりたいと言ったことを本当にバックアップしてくれましたし、実際は「足りない」なんてことはまったくなくて、「足りすぎる」ぐらいにいろいろなことをやってくれたのに、料理で言えば「どんな食材を渡されても、シェフの自分に腕がないから何も作れないんじゃないか」と。みんなが足りないものを渡してくれようとしているのに、「結局ダメだったのはシェフ1人かよ……」と。それに気づけたことは大きかったですね。