「日本遺産」の八ヶ岳の黒曜石文化 “日本最古のブランド”
黒曜石はムラからムラへと運ばれ、黒曜石を集めた大きなムラには遠くから黒曜石の製品を求めて訪れる人々でにぎわい、縄文人の出会いやネットワークが広がっていったと見られています。そうした縄文時代のムラの姿を伝えるのは長野県の尖石(とがりいし)遺跡。黒曜石の交易を背景に多くのムラでは動物や人物の姿を描いた土器文化も芸術のレベルにまで発展していきました。 鉱山の開発、交易ルートの開拓とともに、ムラでは食用や建築材に用いるクリ林の育成に取り組むなど縄文時代の多様な暮らしが黒曜石の物語を通して見えてきます。青森県青森市の縄文大規模集落、三内丸山遺跡(約5500年前~4000年前)では長野県、秋田県など各地から運ばれた黒曜石が多数残されており、黒曜石の広域ネットのストーリーを実際に伝えています。
------------------------------------- ■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者・編集者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説