経済をテーマに大人気ライトノベルへ 「狼と香辛料」シリーズが描く、商売という名の“戦い”
2006年の刊行開始から長く支持を集め続けるライトノベルが、支倉凍砂の「狼と香辛料」シリーズ(電撃文庫)だ。中世風のファンタジー世界を舞台に活躍するのは、勇者や戦士や魔法使いではなく行商人のロレンスと少女の姿をした狼のホロ。内容も商売を通して儲けたり損をしたりといった感じで派手ではないが、人々が暮らしていく上で不可欠な経済のことを教えてくれる。2024年4月から2度目のアニメシリーズも始まったシリーズの魅力は何なのか? いつか自分の店を持ちたいという願望を抱きながら、行商を続けているクラフト・ロレンスという25歳の青年が、前に麦を仕入れていた村に立ち寄ってから少し進んだところで、馬車に積んでいた毛皮の中に誰かが入り込んでいることに気がついた。声をかけると現れたのは、獣の耳と尻尾を持った美しい少女。その正体は、ロレンスが立ち寄った村で豊作の神として祭られてきた賢狼ホロで、そろそろ故郷に帰りたいからと麦を通してロレンスの元に逃れてきた。 そして始まる2人の旅路では、積んでいた毛皮をいかに高く売りさばくかといったところで、ロレンスの交渉の上を行くホロの知恵が発揮され、さすがは数百年を生きる賢狼ホロといったところを見せつけられる。商人たちが騙し騙されながら最大限の利益を得ようと策を巡らしているしたたかさに触れられるシーン。ロレンスが生きている商人の世界が、ダンジョンや戦場に負けないくらいシビアな場所なのだと冒頭なから突きつけられる。 そうした設定の上で、第1巻では銀貨に含まれる銀の含有量が低下するままに任されるのか、それとも価値の下落を懸念して含有量を上げるのかといった、為政者による通貨政策を読んで儲けようと画策するロレンスの姿が描かれる。金や銀といった貴金属の量で貨幣の価値が変わることがない今の貨幣制度で暮らしていると、ちょっと分かりづらい状況だが、読んでいくうちに様々な種類の金貨や銀貨が出回っていた時代の貨幣価値や、改鋳という施策がもたらす影響を学んでいける。 窮地に追い詰められて大損確実と思われたロレンスが、知恵を振り絞って大逆転の1手を打ち、逆に大もうけするようなドラマチックな展開は、それこそ池井戸潤が書いた『半沢直樹』のテレビドラマを見ているかのよう。そうした経済的なテーマを、ティーンに向けたライトノベルの中で描いていたところが、「狼と香辛料」シリーズの大きな特徴だ。剣や魔法によるバトルに興奮する感覚とはまた違った、自分たちの生活と直接関わる経済というものの複雑さを、ロレンスとホロというキャラクターを通して見せてくれた点が、目新しくてなおかつ面白いと評価された。 そしてやはり、キャラクターの造形に惹かれるところが大だ。筆頭が賢狼ホロ。獣の耳が生え尻尾もついた美少女というフォルムも良いが、長く生きる中で身につけた知恵を出して年若い行商人のロレンスをサポートし、過酷な旅を乗り切っていかせる老獪さも捨てがたい。口調は「わっち」「ありんす」といった花魁のような古めかしさがあって、それが年功者としての余裕を感じさせつつ無邪気さも漂わせる多面的な魅力を、ホロというキャラクターに与える。 2008年から2009年にかけ、2期にわたって放送された最初のアニメシリーズでは、ホロの役を『コードギアス 反逆のルルーシュ』で紅月カレンを演じた小清水亜美が担当し、若さと老獪さを併せ持った喋りを聞かせてくれた。そのハマり具合に、新しく作られるアニメシリーズで、小清水亜美が引き続きホロを演じると聞いてファンが喜んだのも当然だ。 それはロレンスにも言える。年若いながらも商売の世界をしたたかに生きている青年を演じるのに、『反逆のルルーシュ』でルルーシュを演じた福山潤はうってつけだった。その彼が、新シリーズでも小清水亜美とともに登場して、16年分の経験をロレンスの中に持ち込んだ。少しだけ重みを増したようなロレンスが、アニメの中で困難にぶち当たっては突破していく姿を見せてくれている姿に、ハラハラしながらきっとやってくれるだろうと期待したくなる。 小説の第2巻は、仕入れた武器の価格が大きく下がって巨額の負債を背負わされるところから物語が始まる。逆転なんて絶対無理と思われるところから知恵をめぐらせ、諦めることなく打開策を見出すその活躍に、ギアス以外は計略をめぐらせて戦ったルルーシュのようなヒーロー像を見てしまう。 剣や魔法が飛び交うバトルものなら、ヒーローやヒロインも技の切れ味や魔法の強さといったもので優劣を付けられる。軍記物なら戦術や戦略といったもう少し広い視点から、名宰相なり知将といった立場の人たちが見せる活躍ぶりからファンになっていける。「狼と香辛料」シリーズのロレンスには、そうした分かりやすい強さはないが、儲けられるか損をするかといった商売という“戦い”を勝ち抜いていく強さもまた、ヒーローたり得るのだということを世間に示した。 こうしたヒーロー像があり、異世界にも経済という概念がしっかりと存在していることを示したからこそ、ファンタジー世界をバトルではなくビジネスで成り上がっていくストーリーの作品が書かれるようになり、読者からも受け入れられた。少女が転生前から覚えていた技術を使って新しい発明を次々と行い、異世界で成り上がっていく香月美夜『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません』など好例だ。そうしたフォロワー的な人気作が幾つも登場しながら、なおも「狼と香辛料」シリーズは高い人気を保ち続けている。 シリーズのクライマックスで、ホロとロレンスは行き着いた山奥の鉱山に近い街で巡らされていたある計画に巻き込まれる。命すら危ういといったところまでいって、ホロが本来の狼の姿となって危地にあったロレンスたちを救い、状況を打開する展開が合って、そこはやはり神に等しい存在なのだと思わされる。 この辺りは、最初のアニメシリーズでは描かれていない。今回の再アニメ化で描かれたら、どれだけスリリングな展開が繰り広げられるかが気になって仕方がない。映画のような大冒険が繰り広げられるエピソードだけに期待も大きい。 行き着くところまで行ってロレンスとホロの旅自体は終わるが、「狼と香辛料」シリーズはまだ続く。ホロとロレンスが結婚して湯屋を経営するようになり、ミューリという娘が生まれてその娘が成長したところで、『新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙』のシリーズへと移る。そこでは、ロレンスとホロが旅の途中で知り合ったコルという少年が成長した姿となって旅に出て、そこにミューリが強引にくっついていく展開が描かれる。 コルが乗った舟の積み荷から突然現れコルを驚かせるミューリは、ロレンスの荷馬車に潜り込んでいたホロの再現といったところ。ただし、経済がメインで進んだ「狼と香辛料」シリーズとは少し趣が変わって、「狼と羊皮紙」シリーズでは聖典の印刷という、現実の世界でも歴史を変えた事態に関わるストーリーが繰り広げられていく。 聖書の印刷が教会の中にだけ留まっていた権威を外にも広め、宗教革命が起こり、国々が争いながら発展していったような歴史的な展開が、物語の中でも着々と繰り広げられていく。こちらもまた、剣や魔法とは違った“武器”で戦う流れを追いながら学んでいけるシリーズとなっている。 実は、新しいアニメシリーズの冒頭に、ホロとミューリのように見える母と娘が会話しているシーンが登場した。「狼と羊皮紙」シリーズがまだ描かれていなかった最初のアニメシリーズにはなかった描写だが、これは「狼と羊皮紙」シリーズも含めてアニメ化される可能性を示すものなのか? そこは分からないが、少なくともミューリが生まれるところまでは描いてくれると思いたい。ホロにも増して奔放で、旅に出るコルについていきたいとねだって囓りまくるミューリの可愛らしさが映像になったら、きっと破壊力は抜群だろうから。
タニグチリウイチ