「『ふてほど』より『おっパン』が一歩リード?」阿部サダヲと原田泰造が演じた“加害おじさん”の差
「傷つけたくない」加害を自覚する『おっパン』
一方、原田泰造主演の『おっパン』は、古い価値観にとらわれていた主人公が、自分のこれまでの行いを自省し、アップデートしていく様を描くロールプレイングストーリー。今までは昭和の価値観しか知らなかったけど、時代は変わっていてこのままでは通用しない、取り残される。そんな”おっさん”が感じる悲哀や危機感までも丁寧に描いています。 放送枠はもともと大人のためにおくる本格派ドラマシリーズとして作られた土ドラ。観てほしいターゲットも明確で、大人たちにちゃんとアップデートしてほしいと願っている誠実な制作意図が感じられます。 主人公・沖田誠がアップデートする理由の根底にあるのが、愛する家族や部下のことを理解したいし、傷つけたくないという思い。「傷つけたくない」という感情が生まれたのは、自分の加害性を意識した証拠です。今まで自らの加害性に無自覚で生きてこれたことこそ「特権」で、そのせいで傷ついてきた人たちは確実にいる。それに気づけただけでも進歩でしょう。 ドラマではホモソーシャルな社会やトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)をあぶり出す展開。時に主人公は、成長の過程でアウティング(本人から了承を得ずに、性的指向や性自認を第三者が公に暴露すること)などの間違いを犯しますが、それを人間性の問題にはせず、「知識がなかったせい」だと伝えているところもミソでしょう。つまり、どんな人でも、知識を得ることで変われると示しているのです。 また、加害の理解だけでなく、被害の理解も重要。今までマイクロアグレッション(無意識の偏見や差別によって、悪意なく誰かを傷つけること)などの被害を受けても、それが自分のせいだと思いこんでいた人たちは多いのではないでしょうか。自分は悪くないという気づきを与えることで、言語化できていなかった感情、モヤッとしたものが明快になるのです。
『ふてほど』と『おっパン』の明確な差
本作は、「多様性」というテーマのもと、LGBTQ+から、アイドルの推し活、BL漫画制作などのオタク活動まで現代を象徴する要素がてんこ盛り。現代のことを何も知らない取り残された”おっさん”たちは今すぐ配信でチェックして! と言いたい教科書的な内容に。教育的要素があるにもかかわらず説教じみてないところもポイントです。 『ふてほど』と最も明確な差があらわれたのは第8話「昭和って何?」回。誠とは違い、アプデできていないままの堅物上司・古池(渡辺哲)が、なんと昭和のやり方でトラブルを解決します。ここまでは『ふてほど』のように昭和の価値観も時に有効で、すべてが悪いわけではないと示したといえます。しかし、誠はその展開のあとにちゃんと続けて「だからといって古池さんの態度が許されるわけでもない」と伝えていました。のちに古池も今までの無礼な昭和的な振る舞いを謝罪します。 女性が男性をたて、男は仕事に没頭するのが当たり前の時代もあった。しかし、今それを押し付けるのは違う。それに当時だってそのやり方で尊厳を傷つけられた人はいたはず。そのことをしっかり言語化し、昭和vs令和という構図を脱却したところは『おっパン』が一歩リードといってもいいでしょう。 ただ、両手を上げて絶賛できない点も。誠のアプデを手伝い、成長を促す役がゲイ男性の大地(中島颯太)であるところは残念。“マイノリティがマジョリティを助ける”という作品は昔から存在しますが、そのフォーマットに今作も即しています。しかしそれは、マイノリティは誰かの役に立つなら存在してもいい、といったメッセージにもつながるものです。 マジョリティが納得できるマイノリティ像を作ると、納得できないマイノリティはダメだということを、暗に意味してしまう。しっかりアプデできている作品だからこそ、そのあたりも更新されていたらなおよかったです。