【没後35年】再起不能と心配された美空ひばり「ああよかった。ちゃんと声が出るわ!」復帰後初のレコーディングで見せた日本歌謡界の女王としての矜持
日本歌謡界の女王としての矜持
その間に再起をかける新曲の『みだれ髪/塩屋崎』(作詞:星野哲郎/作曲:船村徹)が完成し、レコーディング日が10月9日に決まった。 ところが、親しくしていたスポーツニッポン新聞の小西良太郎が10月初めに自宅を訪れると、美空ひばりは前日に初めて立つことができたという状態だった。 「今日初めて10分くらい立ってみた。少しふらついたけど、もう大丈夫」と、その場で微笑む。 誰が見ても、歌える体調ではない。しかし、レコーディングの当日。美空ひばりが希望して行われたオーケストラとの一発録りの同時録音は、完璧なものだった。 第一声は「ああよかった。ちゃんと声が出るわ!」 歌い終わるごとに椅子に腰をおろし、テープを再生して聴き直した。近寄りがたい厳しい表情で、スピーカーから流れる自分の声をチェックした。自らイメージした歌の完成図と突き合わせているのか? 次の歌唱のために緊張感を高めているのか? 美空ひばりは、テストで2回、本番でも2回、フルコーラスを一気に歌った。いつもよりも念入りの同時録音だったが、それですべてが終了したのである。 立ち会っていた小西は、その気迫と集中力にあらためて驚かされた。そこには日本歌謡界の女王としての矜持があった。 歌い手は思ったに違いない。復帰を待っているファンだけでなく、もっと広い音楽ファンに現在の自分をアピールしなければならない。そんな折に舞い込んできたのが、翌年に完成予定の東京ドームでのコンサートだったのだ。 美空ひばりはコンサートを催すうえで、花道を用意してほしいとリクエストした。それは歩くことすら困難な状態を味わったからこそ、自分はまだ歩けるし、これから先も歌手としてまだまだ歩いて行く。そのことをファンに伝えたいという想いの現れだった。 1988年4月11日、東京ドーム。復帰公演『不死鳥~翔ぶ新しき空へ向かって』のステージから一番近い部屋に用意された楽屋には、医師と簡易ベッドが待機し、最悪の事態に備えて外では救急車もスタンバイしていた。 それでも美空ひばりは、2時間半で39曲を熱唱し、5万人の大観衆の心を打った。そして最後はファンの声援に応えながら、決意も新たに花道を一歩一歩と進んでいく。 歌手としての道を全うすることを誓った東京ドームでの姿は、日本の音楽史において忘れ得ぬ光景となった。 文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/2024年5月29日発売『歌は我が命 1989 in 小倉 ~美空ひばりラスト・オン・ステージ「さよならの向うに」~』(日本コロムビア) 参考文献/引用 森啓『美空ひばり 燃えつきるまで』(草思社) 小西良太郎『美空ひばり 涙の河を越えて』(光文社) 小西良太郎『海鳴りの詩 星野哲郎歌書き一代』(ホーム社) 星野哲郎『歌、いとしきものよ』(岩波書店) 美空ひばり公式ウェブサイト
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