<ライブレポート>宇多田ヒカル 約6年ぶりツアー【SCIENCE FICTION TOUR】で肯定した、“わたし”と“みんな”が歩んだ25年
宇多田ヒカルのツアー【HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024】が9月1日、神奈川・Kアリーナ横浜にて千秋楽を迎えた。2018年以来約6年ぶりとなるこのツアーは、7月13日、14日の福岡公演を皮切りに、愛知、埼玉、宮城、東京、台湾、香港、大阪、神奈川の全9か所18公演で実施。台北と香港で単独公演を行うのは自身初で、全公演の総動員数はのべ25万8千人に達した。25年以上の活動期間を経た今もなお、これだけの人気を誇ることにただただ驚かされるばかりだが、公演の内容も驚きの連続だった。 その他の画像 まず驚かされたのは開演前。会場には曲が流れておらず、微かに「ゴー……」という地響きにも似た重低音が聞こえてくるのみ。最初は近くを走るみなとみらい線の通る音かと思っていたが、それはどうやら勘違いで、開演時間を過ぎたあたりから徐々にその音が大きくなっていった。気づけば不思議な電子音も流れ出し、まるで時空をワープする特殊なマシンに乗り込んだかのような気分になった。すると突然、会場が暗転。暗闇の中に一筋の光が照らされ、一音だけピアノの音が会場に流れる。ピアノがいくつか音色を奏でるのに合わせて、ステージ上のライトが点滅。そしてついに、舞台のど真ん中に立つ宇多田ヒカルのシルエットを真っ白な照明が捕えた。会場は割れんばかりの大歓声に包まれる。1曲目は「time will tell」。サビで繰り返される“時間がたてばわかる”のフレーズが、25周年を記念したベスト盤『SCIENCE FICTION』リリース後の今の彼女の姿を象徴しているようだった。 このように今回のツアーは、ツアータイトルにもなっている“SF”的要素を挟みつつ、デビュー以降のヒット曲を総ざらい。しかし、ただ過去の楽曲を再現するのではなく、それらを2024年の感覚で捉え直して歌うという、ベスト盤で見せた姿勢にも通じるライブを繰り広げた。同アルバムは、過去の作品を新たにレコーディングし直したり、ミックスし直したりことで、時代に合わせた新しい形に整えて、今の自分であればこう歌う/こういう音にするといったアップデート感覚が見て取れる。このライブはその感覚を土台に、あくまで現在の宇多田ヒカルに軸を置きつつ、その上で過去にリリースした楽曲を順々に披露していくものだった。 特筆すべきは「光 (Re-Recording)」からの流れだ。不穏な空気感を漂わせる浮遊感のあるサウンドから始まり、少しずつビートが生まれる「For You」~「DISTANCE (m-flo remix)」のメドレーを披露。楽曲間をシームレスに繋ぐことで会場のボルテージが右肩上がりで上昇していく。ダメ押しするように歌い上げたのが「traveling (Re-Recording)」。曲中に花道を歩きセンターステージへと移動すると会場は大盛り上がり。そこで歌った「First Love」の感動は、言葉では表し尽くせないものがあった。1999年の発表から何年経っても色褪せない、音楽史に燦然と輝くこのバラード曲を2024年に生きる我々が固唾を呑みながら聴き入る状況は、不覚にも涙腺を緩ませるものがあった。 このセンターステージの作りにみられるように、観客との“近さ”は今回のこだわりの一つだろう。約2万人を収容できるKアリーナ横浜は柱一本ない巨大なコンサート会場で、すり鉢状に客席が迫り上がっている。そのため客席からステージが意外と近く感じるのだ。演者がセンターステージに来ると距離はさらに縮まる。公演中には、宇多田自身がオペラグラスを使って客席を見渡す一幕もあり、物理的にも精神的にもファンとの繋がりを保とうとする意識が感じられた。25周年という節目を、自分だけでなく、ファンやスタッフ全員に対して祝いたいという言葉も聞かれた。 もう一つ、この公演を通して印象的だったのは、“時間が経つこと”への肯定的な意識だ。この日の宇多田ヒカルは「ようやく好きになれた」という話をよくしていた。たとえば、曲中に観客を煽る動作をしながら「煽ったりするの苦手だったんだけど、今すごく楽しくできてるの嬉しい」と話す場面があった。1990年代後半にライブ経験ほぼなしで大ブレイクしてしまった彼女は、ずっとライブに苦手意識を持っていた。そのためライブの数も頻度も非常に少ないまま活動を続けてきた。だが、年を重ねたことで見えてきた何かがあったのか、経験を積んだからなのか、この日の彼女は今までになく生き生きとした表情でライブ空間を楽しんでいるように思えた。他にも「夏は好きじゃないと思ってた」らしいが、このツアーを通して「夏が好きになったかも」といった言葉を発していた。ある意味、苦手なものを時間をかけて克服していくことの楽しさを、彼女自身が体現し、ライブを通して伝えているようだった。もちろん25年という長い月日で起きたことは、ポジティブな変化や楽しいことばかりではないだろう。しかし、そうした一見マイナスに思えるできごとでさえも、彼女は「ここに連れてきてくれたと思うとなんか悪くない。『良いじゃん』って思えるようになった」と語る。何かを失っても「失ったということは与えられていたんだなって気づかされたり、ずっと心の一部になると知ったり」「与えることの歓びとか、満たされる気持ちもわかった」と続けた。こうした“時間が経つこと”による、良いことも悪いことも含めたさまざまな変化を肯定する意識が、ライブ全体に渡って貫かれていたように思う。 「誰かの願いが叶うころ」を歌い終え、すでにラストスパートへと突っ走る雰囲気だったが、そこからも一山あった。新素材の“ブリュード・プロテイン・ファイバー”でできたカラフルな衣装に着替えて心機一転。ここまでの楽曲がポップスだとすれば、ここからは活動休止(いわゆる“人間活動”)後に制作された芸術作品というべき楽曲が続く。「BADモード」や「何色でもない花」など、音数を削いだ洗練されたアレンジとKアリーナの音響特性が光り、すべての音がクリアかつ豊かに広がる。とりわけ「One Last Kiss」の低音の響きは素晴らしかった。バンドメンバーのテクニックも見逃せない。マルチプレイヤーのヘンリー・バウワーズ=ブロードベントをディレクターに迎え、キーボードに大森日向子、ギターにベン・パーカー、ベースにセイ・アデレカン、ドラムにアイザック・キジトといったロンドンを拠点とする腕利きのミュージシャンたちがバックに揃う。さらにこの公演にはダンサーにアオイヤマダと高村月のユニット=アオイツキ、サックスにMELRAWも参加する特別演出もあった。 アンコールはシンプルなグレーのタンクトップを着て「Electricity」「Stay Gold」「Automatic」をパフォーマンスし、大盛況のうちに幕を閉じた。会場からの鳴り止まない拍手と歓声は、宇多田ヒカルと、彼女とともに生きてきたすべての人々を讃えているようだった。 “時間がたてばわかる”――。それは、きたる未来にポジティブなイメージを持つということだ。デビューから25年が経ち、あらゆる経験をしてきた宇多田ヒカルは今、そういう境地にいる。 Text by 荻原梓 Photo by 岸田哲平 ◎公演情報 【HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024】 2024年9月1日(日) 神奈川・Kアリーナ横浜