地元の青大根 ルーツは満州に
長野県上田市 満蒙開拓の団員が持ち帰ったとの説
「地元で育てている大根の種は満州から来たと言われている」。上田市新町の重田今朝道さん(73)は、信濃毎日新聞で1月に始まった連載「鍬を握る 満蒙開拓からの問い」を読み、食卓に開拓民の引き揚げの苦労を重ね、大地の恵みと平和への感謝を深めている。 【ビジュアルデータ】満蒙開拓への送出人数、長野県は最多 2位・山形県の2倍以上 重田さんが育てている大根は、一般的なものより小ぶりで、鮮やかな緑色が映える。子どもの頃から、地元では「青首支那大根」などと親しまれてきたという。種苗店では「信州支那青大根」の名称で、中国由来との説明書きを添えた種が売られている。 種は9月1日前後にまき、11月下旬頃から収穫する。地面の下ではなく、上に伸びる。地上に出た部分が青くなるという。「白いところは辛いから」と緑色の部分だけすりおろしてもらうと、苦みやえぐみがなく、ほのかに甘さも感じる。「この薬味でそばを食べないと年が越せない」。薄紫色のかわいらしい花も好きだといい、「開拓団の人たちの苦労を語ってくれているかのようだ」と思う。
大地の恵みに平和への感謝
甘さが特長の上田の青い地大根は今、「うえだみどり大根」という名称で知られる。2012年に生産者組合が発足。市内各地の20戸ほどの農家が所属する。組合長の吉田範夫さん(82)=上田市前山=によると、みどり大根は支那大根と他の大根が自然交配した種類といい、ルーツは「開拓団が持ち帰ったとの説が有力だね」と説明する。 重田さんは約40年前に聞いたラジオで、現上田市真田町の元開拓団の女性が「満州からこの種だけは持ち帰ることができた」と証言していたと記憶する。満州から命がけで伝えられた種は、地域の食文化を豊かにしてきた。「ただの地大根じゃない。足元の暮らしと満州との歴史を結ぶ証拠でもある。ありがたく食べていきたい」と感慨深げだ。