千倉出身・県野球界の巨星 石井好博さん死去 74歳(千葉県)
旧千倉町出身で、元習志野市立習志野高硬式野球部監督の石井好博さんが26日、死去した。74歳。 葬儀・告別式は近く近親者のみで執り行い、来年1月下旬に「お別れ会」を開く方向で、同校野球部後援会などが準備を進めている。 知人らによると、26日午前、「千葉県少年野球地域対抗6年生選抜大会」の試合解説のため、成田市のナスパ・スタジアムを訪れ、観戦中に体調不良を訴えて意識を失った。同市内の病院に救急搬送されたが、病院で死亡が確認されたという。 石井さんは1949年、旧千倉町の農家に生まれた。千倉中で本格的に野球を始め、野球を続けるため習志野高校に進学。67年夏、エースとして第49回全国高校野球選手権大会に出場し、千葉勢初の全国優勝をもたらした。 早稲田大に進学し、野球部に在籍する傍ら、習志野高の野球指導に関わった。早大卒業後に母校の社会科教員になり、以後、26年間、監督を務めた。 75年夏の第57回大会では、エースに小川淳司さん(元東京ヤクルト選手、監督、現GM)を擁し、監督としても全国制覇を成し遂げた。 監督として甲子園に春2回、夏4回出場し、通算成績は10勝5敗。教え子には他に掛布雅之さん(元阪神)や福浦和也さん(元千葉ロッテ、現一軍ヘッド兼打撃コーチ)らがいる。谷沢健一さん(元中日)は習志野高、早大を通じて2学年先輩。
石井好博さんの追悼連載を予定 - 熱烈・安房野球伝
房日新聞社では、県内野球関係者の協力を得て、石井好博さんの連載企画の準備を進めていた。石井さんは今年7月に館山市北条の本社を訪れ、関係者との打ち合わせに臨んでいた。 死亡記事にあるよう、県内野球界の巨星であり、千倉出身の輝く星だった。石井さんはそうした経歴をひけらかすことなく、弊社会議室での打ち合わせに参加した。 用意された資料に目を落とし、撮影にも気軽に応じた。習志野高で全国制覇した雄であるが、偉ぶることなく、取材者にも気さくに応じていた。 石井さんへの取材はすでに終わり、連載の開始時期を探っていた段階での訃報だった。
◇◇◇ 連載「熱烈・安房野球伝石井好博回想録」は、元日号からの連載の予定です。当初は石井さんと周辺の「野球熱」を伝える予定でしたが、死去にともない「追悼企画」とします。執筆は元朝日新聞記者、高木潔さん、プロデュースは、館山市の鳥山恒夫さん(安房高OB、元博報堂勤務)です。