台湾地震~MV-22オスプレイという3.11の時とは桁違いの能力を持つ機材を被災地支援に使わなかった惜しい判断
被災地に一刻も早く支援が入るために
この原稿を書いている時点で、死者13人、行方不明者多数という悲惨な地震が台湾の東部、花連県で発生してから2週間ほどが経過した。死者2400人以上を出した1999年9月の集集大地震(921大地震とも呼ばれている)に比べれば比較的小規模ではあるが、この地震はやや離れた地域で発生し、台湾東部沿岸の交通機関やその他のサービスを麻痺させ、数百人を孤立させた。 【写真】何が素早い救援を可能にしたのか―3.11「トモダチ作戦」の現場 台湾は長年にわたり、多くの自然災害や人災を経験してきた。台湾の人々と社会は回復力がある。台湾の人々や社会はたくましく、その教訓を今後の災害軽減、準備、対応、復興に生かしていくに違いない。 しかし、当初、潜在的な破壊の規模は知られておらず、もっと大きいと考えられていた。台北では、地下鉄の環状線で知られるイエローラインを含む多くの地域で大きな揺れと被害が発生し、朝の通勤・通学や夕方の帰宅が困難になった。 当日、私は台北に居なかったが、新しい丈夫なビルにある12階のアパートに戻ったら、ものが動いて、倒れたりしていた。相当揺れたと想像できる。その約一か月前に、台北により近い宜蘭県で地震があり、寝る準備をしていた私はもちろん感じた。 1995年1月の阪神・淡路大震災を経験し、2011年3月の東日本大震災では、「トモダチ作戦」として知られる米国の対応の立案や実施に深く関係した者として、私は被災者と対応者の両方の立場を知っている。被災者は一刻も早い支援を求め、対応する側は一刻も早い支援を望む。
残念、台湾政府から要請されず
今回の台湾東部沖の地震では、迅速かつ可能な限りの支援を行うため、私は台湾政府が近隣の沖縄の米軍に支援を要請することを期待していた。特に、2012年10月から普天間飛行場に配備されているMV-22オスプレイ数機の要請があれば、他の支援から切り離された可能性のある被災地の被災者に、即時かつ具体的な支援を提供できたと思う。 災害時、特に被災者が怯え、孤独で、自らを助ける手段を持たないとき、このような支援は非常に歓迎され、必要とされるものである。 私たち在沖縄海兵隊の災害支援の際、2011年3月中旬に仙台空港を開港させたことは、日本政府当局が当初見積もっていた1年ではなく、数日という短期間での復旧であり、機能的な必要性を満たしただけでなく、被災地に住む何百万人もの被災者、そして日本全体への希望を与えた。 当時、私たち海兵隊は日本にMV-22を配備していなかったので、その対応は私が期待していたよりも遅かった。読者の皆さんはご存知だと思うが、飛行機のように飛ぶV-22は、ティルトローターによってヘリコプターのように垂直に上昇・下降するため、着陸や離陸に滑走路を必要としない。1960年代から使用されているCH-46に比べ、積載量も大幅に向上している。 また、非常に速く、空中給油も可能である。適合する米海軍や日本の海上自衛隊の艦船がこの海域にあれば、救援活動を行う航空機に燃料を補給するための浮体式ガソリンスタンドとして機能することもできるし、救援物資のための浮体式倉庫や、負傷者や治療が必要な人を支援するための浮体式病院として機能することもできる。これらすべて(船から陸上へ)を沖合から行うことで、現地の負担を軽減することができる。 一方、1960年代から2010年代初頭まで使用されていたCH-46は空中給油ができず、スピードもとても遅かった。(MV-22なら1800kmの距離を約3時間で飛行できるところだ)。