<解説>小野憲史のゲーム時評 「ゲーム批評」の思い出(6) がっぷ獅子丸氏の「悪趣味ゲーム紀行」と「暴れん坊天狗」
超硬派のゲーム雑誌「ゲーム批評」の元編集長で、ゲーム開発・産業を支援するNPO法人「国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)」元代表の小野憲史さんが、ゲーム業界を語る「小野憲史のゲーム時評」。今回も、小野さんの「ゲーム批評」時代の思い出を語ってもらいます。 【写真特集】実はレア マリオと“マリオの父”宮本茂のツーショット
モノの本によると売れている雑誌は、目立つ特集記事で新規読者を開拓し、連載記事で読者を定着させるという。このうち連載記事は一度人気が出れば、編集側があまり関与しなくても、ある程度ページが埋まる算段がつき、連載をまとめて単行本化できるメリットがあるので、雑誌編集の要の一つでもある(作家が遅筆だと、それはそれで苦労するのだが)。「ゲーム批評」でも連載開拓に力を入れ、結果的に二つの流れが生まれた。
第一のグループは人気ゲームクリエーターによる連載だ。初代プレイステーションの登場でゲームの作家主義的な性質が強まり、ゲームの作り手によるコラム連載が増えた。もう一つは業界人の裏話的な連載だ。インターネットが普及するまで、こうした情報は雑誌が一手に担っていた。雑誌の「雑」は雑多の「雑」であるとして、さまざまな切り口の連載をそろえることが求められた。
このうち、前者の代表が急逝したゲームクリエーター、飯野賢治氏の「エビスからの手紙」だったとしたら、後者の代表はがっぷ獅子丸氏の「悪趣味ゲーム紀行」だっただろう。打ち合わせで「縁日の暗がりで怪しげな商品を並べて子どもに売りつけている、古びた屋台のような内容にしたい」と言われた時、意味がさっぱりわからなかった。しかし、原稿がFAXで送られてきて、一気に腹落ちした。それだけ内容が面白かったのだ。
コンセプトはB級映画ならぬB級ゲームを紹介するというもので、初回のテーマは「暴れん坊天狗」(メルダック、1990年)だった。ファミコン晩期のゲームで、邪悪な生命体からアメリカを守るため、巨大な天狗のお面を操って、敵を倒していく横スクロールシューティングゲームだ。当時からカルト的な人気を博しており、本連載で再注目された。そこにはゲーム内容もさることながら、独特の文体や語り口の妙が大きかった。