海軍陸戦隊の上陸支援を担う“陸を走る軍艦”【特二式内火艇カミ車】─戦車ビフォー・アフター!─
戦車が本格的に運用され「陸戦の王者」とも称されるようになった第二次世界大戦。しかし、戦車とてその能力には限界がある。そこでその戦車をベースとして、特定の任務に特化したAFV(装甲戦闘車両)が生み出された。それらは時に異形ともいうべき姿となり、期待通りの活躍をはたしたもの、期待倒れに終わったものなど、さまざまであった。 有名なアメリカ海兵隊と同じく、日本海軍は海から上陸して戦う地上兵力として、海軍陸戦隊を擁していた。そして支援車両として陸軍制式の八九式中戦車(はちきゅうしきちゅうせんしゃ)や九五式軽戦車(きゅうごしきけいせんしゃ)などを装備していたものの、これらの戦車は、陸戦隊とともに海から海岸へと上陸する能力を備えていなかった。 かような事情を懸念した海軍は、陸戦隊のための「自力で海から上陸できる戦車」を開発することにした。特に太平洋戦争が勃発し、太平洋に散在する島嶼部で戦いが行われるようになると、上陸用舟艇などによる移送をすることなく、自力で浮上航行して上陸できる水陸両用戦車が強く求められた。 そこで、「水に浮く戦車」の開発が開始される。ではどうやって重い戦車を浮かせるかというと、簡単にいえば、戦車に「浮き」を取り付けるのだ。このような発想に基づいて水陸両用戦車の開発が進められ、最初に実用化されたのが特二式内火艇(とくにしきないかてい)カミ車である。 日本海軍では、内燃機関を搭載したモーターボートなどの小型艇を「内火艇」と呼んだが、日本初の浮上航行戦車の存在を隠す目的で、あえて内火艇の名称が付与された。しかも航行中の状態では、戦車としての足回りが海中に隠れているため、いかにも内火艇に見える。 特二式内火艇カミ車は、車内に設けられた浮力空間だけでなく、車体の前部と後部に大型のフロートを装着することで、浮上航行をひときわ容易にしていた。しかもこの車体前後のフロートは、上陸が完了し「普通の戦車」として地上運用に移る際、邪魔にならないよう投棄できる構造となっていた。 また、水上航行の際は、車体後部に備えられた2基のスクリューを回して進んだ。 砲塔に搭載されたのは37mm砲だったが、太平洋戦争開戦早々に威力の不足が懸念された。そして案の定、後のアメリカ軍との交戦では、M4シャーマン中戦車の装甲に歯が立たず苦戦を強いられている。 制式化は1942年で、約180両が生産されてクェゼリン、サイパン、レイテの戦いなどに投入されたが、浮上航行能力には優れていた反面、装甲が薄く火力も弱かったため、有効な機甲戦力として活躍する機会はなかった。
白石 光