8年間で一軍登板ゼロ、怪我に泣いた巨人ドラフト1位が戦力外通告を受けた日「ホッとしました」「最後のマウンドは投げられる状態じゃなかった」
大阪桐蔭高時代にMAX156kmをマークし、2006年にドラフト1位で巨人に入団した辻内崇伸さん。2013年秋に現役引退し現在は秋田県で現金輸送の仕事に励む左腕に、壮絶な怪我との闘いと8年間のプロ生活、そして第二の人生について聞いた。〈全3回の2回目/続きを読む〉 【写真】防弾ベストにヘルメット…現金輸送の警備業務でいきいきと働く辻内崇伸さんのいま…16歳の中田翔、平田良介との大阪桐蔭3ショット&筒香、村上、小林誠司ら名選手の高校時代の写真を見る(60枚) 2007年2月、プロ2年目の怪物左腕に悲劇が訪れた。初めて経験する一軍キャンプの投球練習中に、以前から違和感を抱えていた左肘が動かなくなったのだ。宮崎キャンプを離れて向かった病院で受けた診断は「左肘関節内側側副靭帯断裂」。手術は避けられなかった。 「球団と話し合って、手術を受けることにしました。当時まだトミー・ジョンについて日本人投手の例は少なくて、19歳の僕は誰にも相談できなかったです。過去に成功したのが桑田真澄さんで、『こぼれ落ちた一球』という本で壮絶なリハビリのことなどを知りました」
左肘手術…進まないリハビリ
本に書かれていた以上の辛い毎日が辻内さんを待っていた。同年4月に手術を受けた後から始まった長いリハビリは遅々として進まなかった。 「しんどかったですね。ボールを持てないままシーズンが終わって、キャッチボールを始められるようになったのは翌年から。グラウンドに行ってもみんなが野球をしている横で走ってばかり。走ってウエートしてリハビリという毎日が本当に辛かった。投げたい、という思いの反面、投げたら痛いんだろうなっていう気持ちもあって……」 08年夏にはイースタン・リーグで実戦復帰。22球を投げ、ストレートはいきなり150kmを計測した。「順調です。来年こそは一軍で投げたい」。試合後、取材にはそう口にしていたが、実際には翌日からまた、痛みで肘が上がらなくなっていた。
「秋の男」と言われて
「投げ終わると腫れていて、肘が少ししか動かなくなる。中10日で投げさせてもらっていたんですが、肘が痛くて立ち上がってこないんです。練習も、キャッチボールも、ブルペン投球もしたくないんです、痛くて。でも練習しないと試合に投げさせてもらえないから無理に投げる。そしてまた痛くなる。そんなループでした」 二軍の試合では登板していたが、そのたびに痛みがぶり返す。さらに左肩痛も抱える二重苦の中で、2年、3年と時間だけが過ぎていった。 「少しだけ良くなる時期があって、それが大体秋なんですよ。フェニックス・リーグで150kmくらい出して、ウインター・リーグに行く。でも自主トレからキャンプに入るとまた痛くなって……。だから僕、“秋の男”って言われていました(笑)。毎年、戦力外の候補に上がって自分自身でももうダメだろうな、と思う。テストされているんだ、と思いながらフェニックス・リーグに参加して、痛いですけど投げられる。そこで何とか生き残って、という感じで8年持ちました」
【関連記事】
- 【続きを読む/#3】「巨人ドラ1」がハローワークで職探し→履歴書の「巨人軍」に社内騒然…「辻内です!買ってください」飛び込み営業も、辻内崇伸の「第二の人生」
- 【最初から読む/#1】大阪桐蔭→巨人ドラ1で一軍登板なし「156km左腕」は秋田で現金輸送の警備員になっていた…辻内崇伸が振り返る「歯車が狂った2年目」
- 【写真】防弾ベストにヘルメット…現金輸送の警備業務でいきいきと働く辻内崇伸さんのいま…16歳の中田翔、平田良介との大阪桐蔭3ショット&筒香、村上、小林誠司ら名選手の高校時代の写真を見る(60枚)
- 【人気】史上最年少15歳でドラフト指名され阪神へ…“神童”辻本賢人はいま、何をしている?「周りの人は僕が野球をやっていたことを知らない」
- 元祖・天才少女が苦しんだ誹謗中傷と世間の冷たい視線「まるでサーカス」「ボギーで観客が失笑」ゴルフ界から消えたミッシェル・ウィーの今