千枚田ズタズタ無残 割れた国道249号歩く 輪島、交通阻み支援届かず
●道の駅、観光客ら取り残され 地割れでズタズタになった千枚田が無残な姿をさらしていた。風光明媚(めいび)な奥能登のドライブルート、国道249号は、至る所で波打ち、ひび割れ、交通を阻む。4日、道沿いに往復約30キロを歩いて訪ねると、どの集落も、よそには徒歩でしか行けない「孤立集落」に。水や食料、ガソリンの不足を訴え、地震から3日たっても届かぬ支援を待ちながら、集会所に身を寄せ合って寒さと不安に震えていた。(編集委員・坂内良明、写真部・石川雄大) 輪島総局から車で1キロ弱走ると、土砂崩れで249号は通行止めになっている。車を乗り捨て、歩くこと約2時間、能登半島を象徴する観光地の一つである「白米(しろよね)千枚田」に着いた。 通行止めで車では来られないはずなのに、道の駅「千枚田ポケットパーク」に、なぜか多くの車が止まっている。 元日に千枚田観光に訪れた人たち約70人が土砂崩れのため帰れなくなり、道の駅で車中泊を続けているのだ。 私たちとほぼ並んで歩いていた自衛隊員の姿に、道の駅にいた若者たちが色めきたつ。支援を待ちわびているのが分かった。 「若い人や子供連れもおり、ガソリンのほか、コンタクトの洗浄液、おむつ、いろいろ足りない」。白米区長の白尾友一さん(60)がため息をつく。食料や水は集落が提供し、炊き出しをしているという。 道の駅で車中泊を続ける1人、東京から単身赴任している川田一希さん(45)=内灘町=は、冬休みで訪れていた息子の光真(こうま)くん(10)と観光中に被災した。「車中泊では、とにかくガソリンの減りが心配。夜も暖房をつけるのは1時間に1回程度にしている」と不安げだ。 展望台から見る限り、千枚田は大きな崩落はない。だが畔に下りると、無数の大きなひびが目に飛び込んできた。大地震の傷痕が癒えるまでには、相当の時間がかかりそうだ。 ●「ここだけ電波入る」 西へ歩く。名舟町では、立って道沿いに並ぶ人たちがいた。聞けば、「携帯の電波がここだけ入る」とのこと。孤立集落の住民にとって携帯は、離れて暮らす家族や友人とつながる唯一の「命綱」なのだ。 土砂崩れで道路が完全に埋もれた箇所がいくつかあった。浜辺や岩場に下り、やぶをかき分け、進む。土砂崩れの跡で、落石にひやりとすることもあった。浜辺では、先に通った人の足跡を頼りに歩いた。 出発から約5時間、町野町大川の集落に着く。外との往来が途絶した中、住民と帰省者125人が集会所3カ所に身を寄せていた。 ちょうどお昼どきだ。「持って行きまっし」とおばあちゃんがおにぎりを勧めてきた。固辞するが、再三の勧めに根負けして、一つだけもらった。 ●「トイレもできん」 「ざいご(田舎)やから、米や野菜はある。でも支援がないから水なし、燃料なしや。持ち寄った灯油も底をついてきた」。区長の大西正浩さん(63)がつぶやく。「ひっどいこっちゃね。水がないと、トイレもなんもできんわね」。散歩中だった滝口悦子さん(82)の泣き笑いのような顔に、黙ってうなずいた。 数キロ東、町野町町野の避難所には、ようやく自衛隊が到着し、物資を配り始めている、と聞いた。近くの砂浜に上陸したホーバークラフトが見える。ただ日暮れ時までに輪島総局に戻らねば危険だ。ここで引き返すことにした。 帰り道、スタート地点までもう一息の所で、自衛隊員の持つ担架に乗った高齢の妻と、付き添う夫に出会った。「足が悪くてね」と男性が言う。 深見町の鵠巣公民館の避難所で過ごしていたが、心配する息子夫婦が金沢から車で迎えに来たという。道路が歩けず、担架は、浜へ下りる細く急な泥道を、ゆっくりと慎重に進んだ。 ズタズタに寸断された249号が元に戻るのはいつか、見当もつかない。今は、支援が一刻も早く届くことを祈るのみだ。