「結局は自分のことだけ…」猿翁&段四郎しのぶ会で会見した市川中車に歌舞伎界からは「冷ややかな声」
《芸能リポーター・石川敏男の芸能界“あの出来事のウラ側は……”》 昨年9月に他界した市川猿翁さん(享年83)と5月に亡くなった猿翁さんの弟・市川段四郎さん(享年76)を「しのぶ会(送る会)」が行われた。 【衝撃!…写真あり】「両親は亡くなって…」市川猿之助も搬送された「生々しい緊迫現場」写真 閉会後、2年半ぶりに息子の市川團子さんと記者会見に臨んだ市川中車さんは 「私どものことで多大なるご迷惑をお掛けしました。改めて深くお詫びいたします」 と、神妙に挨拶。歌舞伎俳優になった時からメディアで伝えられていた実父・猿翁さんとの確執についても発言した。 生まれてからは疎遠だった父・猿翁さんに面会を申し込んでいたが、会おうとしなかった猿翁さん。頑なに拒否する猿翁さんだったが、2番目の妻・藤間紫さんに 「あなたのたった一人の息子じゃないの。ちゃんと会いなさい。話も聞いてあげなさい」 と諭されて、しぶしぶ会うことを認めた経緯があった。 生まれたばかりの息子を置いて紫さんの元に走ってしまった猿翁さんの反省もあったかもしれない。でも、その一言で2人が会うことが実現したのだ。 澤瀉屋の地方公演。静岡・沼津だった。20代半ばの中車さんは花束を抱えて 「生んでくれてありがとう」 と伝えに行った。だが、その時の猿翁さんの反応はすさまじいものだったらしい。 「あなたは私の息子じゃない。帰りなさい。あなたと別れた時から私の人生が始まった」 と、認めようとせず激しい言葉を浴びせた。しかし、中車さんは当時の思い出として 「僕には『あなたのことを愛している』としか聞こえなかった」 と、回想した。 開演前の楽屋だったそうで、猿翁さんの弟子のひとりは 「かなり怒っていらっしゃった。『これから舞台に立とうとしている前に現れて』と。その日の舞台は、珍しく師匠は大荒れでしたね。あんな姿は見たことなかったです。それだけ親子の縁は切れていると感じましたね」 と、言っていたことを思い出す。 その後、猿翁さんの病状が進み、歌舞伎の道に親子で進むことを決めた中車さんと團子さん親子。夫と息子の歌舞伎入りを拒否していた妻とは離婚することになった。 離婚の大きな原因の一つは、猿翁さんとの同居生活だったようだ。猿翁さんとの新しい生活は、彼女にとっては難しかったのだろう。 紫さんがいなければ、実の親子の顔合わせも中車さんの歌舞伎役者への道も進まなかっただろう。紫さんの一言が、今の中車さんを歌舞伎の世界に登場させたと言っても過言じゃない。 母・浜木綿子さんから父を奪った紫さんを許せなかったのかもしれない。だから、彼の口から紫さんの名前が出たことは無いと記憶している。紫さんの名前を出したくないほど怒りの先にあった人だったのだろう。 父との再会を叔父の段四郎さんが 「よく会いに来てくれたと、ほほ笑んでくれた叔父は太陽のような人でした。人生で一番幸せな日だったと言えるかもしれません」 と、会見で当時を振り返っていた。 だが、送る会に出席していた澤瀉屋の弟子のひとりは、 「結局、中車さんは自分のことだけしか言わない会見でしたね。特に『父と叔父の精神を継いで、しっかり前を向いていきたい』と、澤瀉屋の中で自分と息子の立場を強調していましたね」 と冷めた目で見ていたようだ。まさにその一言が、梨園での中車さんの微妙な立場を表しているようだ。 父・段四郎さんと母の自殺ほう助罪で有罪判決を受けている市川猿之助さんは欠席。2月・3月に新橋演舞場で始まるスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』にどれだけの客が入るか、中車さん&團子さん親子の正念場になるだろう――。 文:石川敏男(芸能レポーター) ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、レインボータウンFMにレギュラー出演中
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