日本の「お葬式」の“闇”…最大の謎「お布施」の“間違った考え方”と“正しい支払いテク”!
お葬式で僧侶に包むお布施について、僧侶側はなぜ「お気持ちで結構です」と言うのかーー。そんなお葬式にまつわるモヤモヤ感や違和感をわかりやすく解説した『葬式仏教 死者と対話する日本人』(産経新聞出版)がいま話題だ。 【画像】医者が明かす「痛い死に方ランキング」ワースト50…! 著者は著名なお寺運営コンサルタントとして知られる株式会社寺院デザイン代表取締役、薄井秀夫氏。アマゾンの「仏事」部門で1位になるなど仏教業界でも話題を呼んでいる本書から、仏教離れが止まらない現代の“葬式仏教の光と影”が浮かび上がってくる。
そもそも「葬式仏教」とは何か?
“葬式仏教”とは、葬送が活動の中心となっている日本特有の仏教を示す言葉だ。 仏教徒は本来、釈迦の教えに基づいた信仰生活を送るものだと考えられているが、日本では教えにはあまり関心がないが、葬儀の9割近くが仏教で行われている不思議な国だ。 「本来、教えを説くべき仏教が、それをせずに、葬式ばかりしている」と揶揄する向きがあるのも、そのためだ。 となると、葬式仏教はへんてこりんな仏教だ。
「お布施」の問題
しかし日本での葬式仏教の歴史は長い。 室町時代の後半に生まれ500年以上にわたって日本人に信仰されてきた。お墓で、仏壇で、みな当たり前のように手をあわせる葬式仏教は圧倒的に支持され、日本人の間で定着した紛れもない宗教である。死者への祈りを大切にする葬式仏教を再評価することが必要ではないか。 ただ、葬式仏教にも課題が少なくない。例えば、お布施の問題だ。 僧侶に包む金額について「『お気持ちで結構です』と言われたが、いくら包めばいいかわからず不安になった」という声も多い お布施は本来、お金のことを意味するものではない。人は執着をなくすことで、苦しみをなくしていくことができるというのが仏教の考え方である。布施という行為は、自分が大切だと考えているもの(その代表がお金であろう)を捨て去ることで、執着をなくしていくための修行なのである。 とはいえ、日本の仏教徒の多くは教えに詳しくない「なんとなくの仏教徒」であり、お布施の本来的な意味を分かってもらおうというのも、どだい無理な話なのだ 僧侶は本来的な意味にこだわりがちであり、一般生活者はそんなことを理解する状況にない。そのため僧侶との間にズレが生じているのが現在の状況だ。
「お布施の金額」と「冷たい目」
では、その溝を埋めるにはどうすればいいのか? 地域の人間関係が希薄となった都市部では、お布施の金額を提示しないことが許されない状況にある。 そうした中で、聞かれたら金額を答える僧侶も一部にはいるが、宗派の主流派からは冷たい目で見られがちだ。 家族を亡くして悲しみにくれる遺族に新たな不安を加えることがないよう、もう少し仏教側は一般生活者に歩み寄ってもいいのではないか――。
薄井 秀夫