協栄ジム活動休止でフリーとなった亀田和毅が“原点“の大阪グリーンツダジム移籍へ
グリーンツダジムは、1980年2月に大阪市西成区に故・津田博明氏が立ち上げた関西の名門。「浪速のロッキー」こと、赤井英和が旋風を巻き起こし、その後、元2階級王者の井岡弘樹、元WBA世界ライトフライ級王者の山口圭司、元世界ミニマム級の4団体王者、高山勝成、元WBA世界スーパーウェルター級暫定王者の石田順裕という4人の世界王者を生んだ。だが、津田氏の死去と共に経営が立ち行かなくなり、ジムの場所も移転。一時、存続の危機を迎えたが、マネジャーとしてジムを支えてきた本石氏が再建に尽力し、2014年から会長を引き継いだ。定期的に「クラッシュボクシング」と命名したボクシング興行を行うなど、集客にも地道な努力をして関西ボクシング界の盛り上げに大きな役割を果たしている。 現在は、元日本スーパーフライ級王者の奥本貴之、元日本ウェルター級王者の矢田良太、日本スーパーバンタム級ユース王者の下町俊貴らのランカーが所属しているが、本石氏が会長に就任してから世界王者はまだ誕生していない。 関西には、WBC世界ライトフライ級王者、寺地拳四朗(BMB)がいるが、世界戦や実質の活動拠点は東京にあるため、本石会長には、亀田和毅を迎え入れることで「亀田選手がきて、大阪のリングに立つとなると、元気のない関西のボクシング界の盛り上げにつながるかも」という期待感もある。 しかも、元々、亀田3兄弟の出身母体が、初代の津田会長時代のグリーンツダジムだったという縁もある。亀田3兄弟の生まれ育った西成区の実家がグリーンツダジムのそばにあり、もちろん、まだ子供の和毅はプロデビューしていなかったが、グリーンツダジムの一階にあった専用スペースで2人の兄と共に練習をしていた。世界戦を組む興行力がなかったため2005年に亀田興毅が協栄ジムへ移籍すると、兄弟は揃って拠点を移したが、何の運命か、巡り巡ってボクシング人生の原点とも言える古巣にカムバックする形になりそうだ。 亀田和毅は、昨年11月にWBC世界スーパーバンタム級暫定王座を獲得。WBO世界バンタム級王座に続く2階級制覇に成功したが、今年7月に米国で行われた正規王者、レイ・バルガス(メキシコ)との統一戦に0-3判定で敗れた。その後、再起を決意。10月から練習拠点を米国ラスベガスへ移し、かつてグリーンツダジムでトレーナーを務めていたこともあるイスマエル・サラス・トレーナーの指導のもと、3階級制覇を目指して練習に取り組んでいる。今後、直接会談で移籍条件に両者が合意、グリーンツダジムへの移籍が正式に決まれば、米国、メキシコ、グリーンツダの3カ所の練習拠点を股にかけてバンタム級、スーパーバンタム級に続く3つ目のベルトを狙うことになる。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)