『サザエさん』ワカメとタラちゃんがヒロポン中毒? 本当のジャンキーは誰なのか
明るいサザエさん一家には裏の顔があった?
『サザエさん』には、いくつもの都市伝説があります。なかでも有名なのが、「ワカメ」と「タラオ」が「ヒロポン(覚醒剤)」を使用していたというものです。このうわさは、実際のマンガのコマの画像とともに、長らくネットで広まっていました。 【画像】え、朝ドラモデルの人物も? こちらがヒロポン常用者とうわさされた芸能人です(4枚) 戦時中、ヒロポンは疲労回復や眠気解消に効果があるとして、軍需工場で働く人たちなどに広く配布されていました。『サザエさん』の連載が始まった戦後すぐの時代も、ヒロポンは市販されており、そんな事実と長谷川町子先生による絵が合わさって、「ワカメとタラオがヒロポンを使用していた」といううわさが広まってしまったのです。 国民的な存在であるサザエさん一家のワカメとタラオと、明らかにブラックな存在である覚醒剤というギャップも、うわさの広がりにブーストをかけていました。人は明るいものの裏側にどす黒いものがあるのを知ると喜ぶものなのです。 結論から言うと、これは『サザエさん』ではなく、長谷川町子先生の『似たもの一家』という作品の1エピソードでした。作家の「伊佐坂難物」の一家が主人公で、連載終了時には一家がそのまま『サザエさん』に引っ越したことでも知られています。 ヒロポンを飲んだのは、伊佐坂家に預けられた子供の「ミヤコ」と「カンイチ」でした。似ていますが、ワカメとタラオではありません。子供たちは難物の書きもの机に置いてあったヒロポンを誤飲してしまったのです。 ところで、なぜ難物の机にヒロポンが置いてあったのでしょう? 難物は穏やかな顔をしますが、実際はジャンキーだったのでしょうか? 実はこの時期、芸能界や文学界にはヒロポンが蔓延していました。芸能界では、朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の主役のモデルになった笠置シヅ子さんもヒロポンを常用していたことで知られています。一方、文学界では、『堕落論』『白痴』で知られる坂口安吾先生や『夫婦善哉』などが人気を集めた織田作之助先生がヒロポンの常用者でした。特に織田作之助先生は1947年に33歳の若さで亡くなったとき、「ヒロポン」の乱用が死因ではないかと疑われ、大きな話題となりました。 『似たもの一家』の連載が始まったのは1949年であり、作家といえばヒロポンを常用しているというイメージが強かったのかもしれません。長谷川町子先生は風刺精神が強かったので、風刺の一種として難物の机にヒロポンが置かれていたのを描いた可能性も高いでしょう。 実は『サザエさん』にも覚醒剤が登場するエピソードがあります。年配の男性が薬局で「カクセイザイをくれたまえ」と買い物をしています。サザエによると、この人は「文士劇」をやるそうです。つまり、作家なのでしょう。ところが薬局は間違えて「スイミン剤」を売ってしまい、男性は爆睡してしまうというオチがつきます。 このエピソードからも、作家=覚醒剤というイメージが強かったことがよく分かります。今は磯野家の隣人として穏やかに暮らしている伊佐坂先生ですが、ヒロポン常用者だったのは明らかでしょう。はたして、どのように薬物を断ったのか、また実は今でも隠れて常用しているのかが気になるところです。
大山くまお