クラシックカー文化を支える哲学と情熱|マキール・ハガティ氏インタビュー
40年前、ハガティ家は趣味に特化した損害保険会社を自宅の地下室にて創業。以来、同社は大きく成長を遂げている。 【画像】幼いころから車に触れて育ったマキール・ハガティ氏(写真8点) ーーーーー マキール・ハガティ(以下、マキール)には、“禅”な雰囲気が漂っている。深い思案と内省、そして心の均衡を示唆する落ち着いた雰囲気から「神聖」と呼びたくなるほどだ。後のインタビューで彼が聖職に就くことを真剣に考えていたと明かされても、驚きはなかった。そんな彼が今、はにかんでいる。オンライン・インタビューでハガティの背後に映る画面を見た取材陣が、彼のオフィスをクラシックカー帝国のラビリンス、もしくはホテルのプレジデンシャル・スイートのようだと伝えたからだ。 ●損害保険から業務を拡大 ロシア正教会での敬虔な未来を断念したマキールは、代わってクラシックカー業界で前例のない規模のビジネスを指揮する立場に就いた。マキール率いる「ハガティ」は損害保険、オークションハウス、さらにはライフスタイルブランドへと昇華している。 アメリカ・フロリダ州のコンクールデレガンス「アメリア・アイランド」(Amelia Island)、イギリスのラッドウッド内で催される「フェスティバル・オブ・ザ・アンエクセプショナル」(Festival of the Unexceptional:今年で10周年を迎える)などの様々な自動車イベントを所有・運営をしている。ブロードアロー・オークションズを傘下に収めていたり、クラシックカー業界標準の価格ガイドを発行したり、市場データの生成にも注力している。 その中核にあるのは、今年で創業40周年を迎える損害保険会社である。数字で見るハガティの規模は圧巻だ。アメリ力では240万台のコレクターカーが同社の保険に加入し、運営するドライバーズクラブは約83万人のメンバーを擁する(イギリスのヒストリックカーの台数に匹敵)。YouTubeチャンネル登録者数は300万人を超え、世界4カ国で1,600人の従業員を抱えている。 「私たちは特段、裕福なわけではありませんでした。両親のフランクとルイーズはアメリカ中西部の小さな町で営んでいた保険代理店を売却して、引退後のプロジェクトとして木製ボートの保険引き受けを始めました。事業は文字通り我が家の地下室で運営され、家族全員が協力しました」とマキールは振り返える。夏になると営業がてらボートショーに出向き、顧客の多くがクラシックカーも所有していることを知る。そして、顧客から説得されてクラシックカーの保険の販売をすることになった。「戦路的構想からクラシックカー保険を始めたのではなく、あくまでも顧客からの要望に応えたに過ぎなかったのです。当時、私はまだ10代、姉たちは20代でしたが、全員が対等なパートナーという立ち位置でした」 ●幼い時からクラシックカーが身近にあった マキールは知らず知らずのうちにクラシックカーの英才教育を受けていた。 「自宅には常に手入れが必要な車が転がっていました。姉たちと私が運転免許を取得すると父は、一人一人に一緒にレストアする車を見つけてきました。長姉のキムは1962年型コルベア・ステーションワゴンを、9歳年上のタミーは1960年型ポルシェ356Bロードスターをわずか500ドルで購入し、父とガレージでレストアしました。私には、同じく500ドルで錆びついた1967年型ポルシェ911Sを見つけてきてくれました。父と一緒にレストアして高校時代に乗り回していましたよ。“高校生がポルシェ”と聞こえは贅沢ですが特別なことではなく、金額も金額ですし、いたって“普通”のことでした」 高校卒業後、マキールは家業から離れる寸前だった。哲学を教えることに魅了されたのだ。大学卒業後すぐに聖ウラジミール・ロシア正教神学校に入学し、司祭になるための勉強を始めた。結果として聖職の道は選ばず、古代哲学の博士課程に進んだ。そしてある日、彼に啓示が降りてきたのだった。 「1995年、ボストン・カレッジでプラトンの「国家』をギリシャ語で読んでいた時のことでした。ノートの余白に家族のビジネスは保険販売の会社ではなく、クラブや会員制組織として考えた方が上手くいくのではないかというアイデアを書き留めました。授業の途中でしたがノートを閉じ、当時の妻のもとへ帰宅しました。そして“大学院は辞める、引っ越そう”と告げました。そしてボストンからミシガンへ戻って、よりコミュニティ重視のアプローチでビジネスを再構築することにしました」 当時、クラシックカー市場規模を示すデータは存在せず、マキールたちは自動車クラブの数や会員数、関連自動車雑誌の発行部数などを足し合わせて世界で300万~400万人と見積もっていた。 「嬉しい誤算だったのは後年、我々が見積もった数字の10倍以上の市場規模が存在していたことが明らかになったことです。成長のチャンスは目の前に広がっていただけでなく、私たちは成長を遂げる最高のポジションに居合わせたのだと思っています」 ●環境は拡大傾向にある マキールは謙遜するが、ハガティのビジネスがデータに執着していることを如実に物語っている逸話でもある。同社はクラシックカー界のあらゆる側面を綿密に分析し、市場と構成車種に関する情報を絶え間なく発信している。トレンドを逃さず捕捉し、まるでデータがもたらす価値を崇拝するかのごとく重視している。 しかし、ハガティの事業展開はそれだけにとどまらない。メディア、イベント、そして今やヨーロッパ進出が目前に迫るオークションハウス「ブロードアロー」にまでハガティの帝国は拡大している。さらに株式公開というひとつの集大成を迎えた。もっとも上場企業となることで必ずしも、今までの株主たちとは同じ理念を共有しない可能性のある多様な声に耳を傾ける必要も出てくる。マキールは手足を縛られたも同然ではないかという疑問が生じる。 「長年にわたり、大資本が自動車業界において投資先を模索する様子を見てきました。何かが公の場で目立ち、彼らの目に魅力的に映れば大資本は触手を伸ばすものです。そこで私は自問自答しました。我々自身が大資本の立場になるか、大資本に触手を伸ばされるのを待つのか」とマキールは語った。 株式公開という莫大な資金調達を経てハガティはテクノロジー、データ、そしてライブおよびデジタルオークションを含む各事業への大規模投資を敢行。新たに迎える株主に対して説明責任を負うことになったハガティは、今までの経営スタイルや志に妥協しなければならないのだろうか。 「当然のことながら私たちは営利企業ですが若者向けプログラム、自動車趣味人の新規開拓、メディア、イベントなど、収益性をあまり重視しない分野への投資も継続するつもりです。 なかでもイベント開催は労力を要する割に大きな利益を生み出しませんが、継続することが重要だと考えています。現在の事業ラインナップには満足しているので、今のところ事業買収に積極的に動くことはないと思っています」 買収はないかもしれないが、既存事業の拡大は計画中だ。 「ブロードアローは今後2、3年の間にイギリスを含め、ヨーロッパで複数のオークションを開催する予定です。具体的な開催数や場所についてはチームの判断に委ねているので、私はまだ詳細を知りません。ハガティは20年以上前からイギリスで事業を展開しており、現在はビスター・ヘリテージを拠点としています。クラブハウスを構え、会員向けイベントを開催し、オークションをどこでどのように開催すべきか、検討を始めたところです」 単体のオークション開催よりもコンクールデレガンス、ヒストリックカーレースなど、魅力的な自動車イベントとの併催が有力視されている。というのもこの手のイベント参加者は、オークション会社にとって理想とする入札者でもあるからだ。 最近、コレクターカー相場が下落傾向にある、と騒ぎ立てる人間がいる。これに対してマキールは真っ向から否定する。 「ハイエンドのコレクターカー市場は高止まりしています。市場崩壊の序章だと騒ぎ立てる人がいますが、上昇相場の勢いが和らいでいるだけのことです。また、一部のコレクターが所有車両を“整理”しているマクロトレンドを市場崩壊の前兆と誤解しているようです。実際はコレクターが存命中に“終活”の一環として所有ラインナップの見直しをしているだけのことです。やや寂しさを覚える事象ではありますけど、これが現実です」 ●マキール自身のコレクション 「私のコレクションは10台ちょっとで、そこまで数は多くありません。ポルシェ356では弊社が開催したカリフォルニア・ミッレに出走して、コロラド・グランド専用に購入したボーカーXがあります」(編集部註:Bocarはコロラド州レイクウッドのボブ・カーンズが開発したFRPボディ架装のレーシングスポーツカー。シボレー製V8を搭載して1950年代後半から60年代前半にかけて少数が完成車もしくはキットで販売された) なんと高校生時代に父親と一緒にレストアした911Sも、いまだに保有しているという。最近、1955年のメルセデス・ベンツ300SLを購入したほか、ロンドン-ブライトン・ベテラン・カー・ランのために1903年の米国車ノックスも手に入れている。昨年、マキールは土曜日に渡英し、日曜日にラリーを完走して、そのままミシガン州トラバースシティに戻っている。