激しい角の突き合い、40年の闘牛の歴史 勝敗がつきそうになると…〝引き分け〟で終わる理由
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】激しいぶつかり合い魅了 東北地方で唯一の闘牛、40年超の歴史
塩を背負って北上山地を越えた牛たち
体重600キロを超える2頭の牛たちが「ドスン、ドスン」と砂煙を巻き上げながら巨体をぶつけ合う。 超満員の観客席からは「負けるな!」「もっと押せ!」との歓声がわき起こる。 岩手県久慈市で年に4回開かれる「平庭闘牛大会」。東北地方で唯一の闘牛大会で、2022年には初開催から40周年を迎えた。 久慈地方は全国でも有数の日本短角種の産地だ。 険しい北上山地は馬では越えられず、江戸時代には近隣の海岸で作られた塩を牛の背に乗せて盛岡方面へ運んだ。 その際、隊列の先頭に立つ牛を決めるために、牛の突き合わせをしたのが闘牛の始まりとされる。
若い牛に負け癖がつかないように…
掛け声に合わせ、牛たちは目を真っ赤に充血させて突進する。 でも、勝敗がつく前に「勢子(せこ)」と呼ばれる関係者が割って入り、引き分けのまま終わらせる。 平庭闘牛で戦う牛たちはまだ生育途中で、その後も体を大きくして新潟などの闘牛拠点に供給する役割を担っているため、若い牛に負け癖がつかないようにするのが特徴だ。 それでも、牛の激しいぶつかり合いに観客たちは魅了される。 地元の小学1年生は「牛がすごい音でぶつかるのでびっくりした」。 母の麻衣さん(33)は「地域の文化として誇りに思う」。 岩手を愛した詩人・高村光太郎は「岩手の人」を「牛の如し」と書いている。 〈地を往きて走らず/企てて草卒ならず/つひにその成すべきを成す〉 馬のようには走れないが、ゆっくりと一歩一歩、歩みを進め、周囲の雑音に惑わされずに目標を達成する、という意味らしい。 この地に暮らして、私もしみじみ思うときがある。 岩手の人は「牛」のようであり、「山」のようでもある、と。 (2022年5月取材) <三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した>