「闘病中」のマック赤坂も“ほぼ裸ポスター”は「論外だよ」と…元泡沫候補が語る「目立ってもいいけど、スベっちゃダメなんです」
考え抜かれていたマック氏の政見放送
「政見放送の台本は、毎回3日くらいかけて作ってたね。どのワードをどの順番で言うか、どこに抑揚をつけるか、動きをどうするか。けっこう緻密に計算していたんだよ。どこまではセーフでどこまでがアウトなのかも、過去の政権放送を全部見て研究したし。 一番参考になったのは、91年の都知事選に出馬した内田裕也さん。いきなり歌い始めて、あとはずっと英語を話していたでしょう。彼自身はどこまでも真面目にやっている。だけど笑っちゃうじゃない。ここまで振り切らないとダメなんだって学ばせてもらった」 ちなみに、政見放送時に着用していたド派手な衣装の数々は、「だいたい六本木のドンキで買っていた」と言う。 こうしたマック氏の知名度向上の努力が実ったのが、2019年。港区議選で初当選したのである。都知事選や衆参議員選など合計14回出馬し続けた末に、ようやく議員の座を掴み取った。 「そりゃあうれしかったよ」と明るく話すマック氏だったが、続く言葉にはどこか悔しさが滲んでいた。 「でもちょうど港区議選が始まった頃かな。病気になっちゃってね。議会に出るのも難しくて、最後はほとんど活動できないまま1期しか務めることができなかった。投票してくれた港区民の皆さんや関係者の方々にはいまでも迷惑かけてしまったな、と」 そして、声を振り絞るようにこう続けた。 「また出たいよね……選挙。でも万が一当選しても体がもたない。同じような迷惑はもうかけたくないんだ」 つづく記事『赤坂の高級タワマン、5000万円超のロールスロイス…「極貧生活」から一発逆転したマック赤坂が「70代になって失ったもの」』では、現在どのような症状に苦しみ、どのような暮らしを送っているのか、そもそもどのようにして財を成したのか、マック氏が赤裸々に語る。
週刊現代(講談社)