「井上拓真とやりたい!」”モンスターを猛追する男”中谷潤人が振り返る「笑顔の三階級制覇」
「今回は楽しかったですね。自然と笑みがこぼれてしまいました。ベストバウトと呼べる試合になったかな、と思います。」 【画像】な、なんと無慈悲な……!王者サンチアゴが絶望した中谷の右フック 2月24日にWBCバンタム級王者、アレハンドロ・サンティアゴを6ラウンドで沈め、3階級制覇を成し遂げた中谷潤人は、試合20時間後にそう語った。WBOフライ級、同スーパーフライ級に続き、自身の腰に巻く3本目のベルトは緑色だった。過去に辰吉丈一郎、薬師寺保栄、長谷川穂積、山中慎介、井上尚弥らが獲得したものである。 ◆4年5ヵ月ぶりとなった父との拳タッチ 中谷は幼い頃に憧れたタイトルを、非の打ちどころのない内容で奪取した。WBOの2本のベルトは共に決定戦で得ており、チャンピオンに挑戦するのは初めてだった。 「チャレンジャーとして花道を歩くのは、いい緊張感がありました。両国国技館で戦った経験はありませんでしたが、リングと客席が近く、圧迫されるような気持ちになりました。周囲が見渡せて、知っている顔が目に入ってくるんです」 タラップを上る直前、中谷は右のグローブを父親の右拳と合わせた。 「『頑張ってきます。いつもありがとう!』という感謝の思いからです。好きなことに突き進む環境を与えてくれたのは両親ですから」 中谷は常に親のぬくもりを感じてきた。プロデビュー以来、リングに上がる数秒前に父と拳を合わせていたが、コロナ禍で花道も制限されるようになり、親子の“儀式”ができなくなっていた。 昨年9月のファイトは、最後の900グラムをなかなか落とせず、減量に苦しんだ。板前のキャリアを持つ父は、そんな息子を食事面でサポートした。父、澄人氏は振り返る。 「前回、リンゴやオレンジなどを食べたことが減量には良くなかったようです。反省し、サンティアゴ戦はイチゴ3粒くらいにして、果物を控えさせました。その代わりに人参、キャベツ、玉葱、キノコなどの温野菜を摂らせたんです。 花道では『悔いのないようにな』という気持ちで、いつも拳を合わせてきました。私の記憶では、潤人が世界戦のリングに上がるようになってから初めての拳タッチだったと思います。親なら誰もがそうでしょうが、毎試合、こちらは気が気じゃないです。でも、今回は打たさずに、しっかりと自分の仕事をしてくれました。感無量でしたね」 リングサイド最前列に座った両親だが、息子の表情は青コーナーの鉄柱やトレーナー陣の背で遮られ、肉眼では捉えられなかった。 「潤人がリング上で微笑んでいたなんて、まったく気付きませんでした。こちらは心臓が張り裂けそうでしたから……。しかし、凄いメンタルですね。我が子ながら驚きです」 第1ラウンドが終わった時点で、早くも中谷は相好を崩していた。 「試合開始直後は、サンティアゴがプレッシャーをかけてくることを想定して、あまり自分から前に出なかったんです。パンチを喰らわないようにディフェンシブに入りました。右手を前に出しながら、自分の距離を保つというのは作戦通りでした。もっとサンティアゴがグイグイ来ると考えていたのですが、上手くコントロールできたので、手応えがありました」 2ラウンドに向かう前、中谷はスクッとコーナーを立ち上がる。 「早く立ち過ぎてしまったので、もう一回座ろうとしたんですよ。でも、既にルディに椅子を引かれていて、『まだ疲れていないから、いいよな』なんて言われたので、笑ってしまったんです」 身長172cmの挑戦者は自分の距離を保ち、159cmのチャンピオンに接近を許さなかった。サンティアゴは何とかして挑戦者の懐に飛び込みたいが、中谷のフットワークに翻弄される。挑戦者のバックステップが光った。 相手との距離を縮め、5つ6つ7つと、手数で圧倒しながら世界王座を掴んだメキシカンは、成す術を失っていく。 一方の中谷は、ますますイメージ通りにリングをコントロールし、積み重ねたトレーニングの成果を見せた。サウスポーである中谷と、オーソドックス(右構え)のサンティアゴが戦う場合、前足を外側に出せるかどうかが一つのカギとなる。外側にポジションをとった方が、断然有利だ。中谷は今回、決してそれを譲らなかった。 「凄くいいポジションが取れました。本当に楽しみながらやれましたね。練習で追い込んでいるので、本番ではゆとりを持って冷静でいられました」 中谷は師事するルディ・ヘルナンデスの下、1月4日から1ヵ月間、LAでキャンプを張った。彼にとって1ヵ月のトレーニングキャンプとは、通常よりも短い。が、5分×10ラウンド、3分×17ラウンド等、ハードなスパーリングをこなした。 実弟のジェナロを世界王座に就かせ、竹原慎二、畑山隆則、伊藤雅雪、仲里周磨など、日本のトップ選手も指導したルディは、中谷潤人こそ自らが手掛けた最高傑作だと断言しながら、まだ眠っている能力を絞り尽くすんだと、過酷なメニューを与えている。 キャンプで歯を食いしばった中谷は、乗り越えた苦難の分だけ、試合が楽だと感じるのだ。 「そういったメニューをこなしてメンタルに余裕が生まれ、1ラウンド1ラウンドを濃縮できたみたいです。『12ラウンドが短い』と思えました」 4ラウンド終了時に途中経過の採点が発表され、3名のジャッジそれぞれが40-36で中谷リードとしていた。 「ポイント差を聞いて、ルディから『チャンスだと思ったら、4つ5つとコンビネーションを打て』とアドバイスされました」 師の声を耳にした中谷は5ラウンドに攻撃のバリエーションを増やし、ハッキリとノックアウトを意識した戦いとなる。 「僕のジャブを嫌がっている素振りも見せたので、出て来られなくなっていましたね。打ったところで1発か2発。連打できる体勢じゃないなと、不安はありませんでした」 そして迎えた第6ラウンド38秒。挑戦者の左ストレートがサンティアゴの顎にクリーンヒットし、チャンピオンは腰からキャンバスに崩れ落ちる。中谷の述懐。 「ルディから『アップライトに構えて、ワンツー、ワンツーと打っていけ!』と言われたので、指示に従いました。キャンプでも繰り返していましたし、練習通りにやったら倒れましたね(笑)。手応えは、そこまではなかったです。ただ、とてもリラックスして打てました。投げたようなパンチでした」 落ち着いてセコンドの声を聞き、獲物を仕留める。 「ダウンとった後にコーナーを見たら、ルディが『もうちょっと待て』と。だから、様子を見ながらジャブを放ったらサンティアゴが怯んだので、気持ちが折れたことを理解しました。そこでワンツーを打って、彼のバランスが崩れたところに、もう一回ワンツー、フック、ワンテンポ置いてフックを放ったんです。真ん中ばかり狙っていましたから、外からの攻撃、横からがスムーズに決まりましたね」 右フックを浴び、再び沈んだチャンピオンのコーナーから棄権が申し入れられ、試合は終了した。 昨年5月、中谷はカウンターの左フックをヒットさせ、対戦相手を轟沈させてWBOスーパーフライ級タイトルを獲得した。この一発は、米国の主要メディアから<KO of the year>に選ばれている。だが、サンティアゴから最初のダウンを奪った左ストレート、仕留めた右フックも、会心の一撃に見えた。 「感触的には、今回の右フックが一番ズシリときました」 2年連続となる同賞の受賞も大いに可能性がありそうだ。中谷が3階級を制した興行では、彼が返上したベルトを田中恒成が獲得し、同じバンタム級のWBA王者である井上拓真もKOでタイトルを防衛した。 「僕が持っていたベルトを田中選手が獲ったことになりますが、もう過去のことなので特にこだわりはないです。ただ、日本人3人とも勝てて良かったなぁくらいの感情です。拓真選手は同じ階級ですから、意識しますね。ファンの方にも喜んでいただけるカードだと思いますし、是非、戦いたいです」 戦績を27戦全勝20KOとし、3階級を制した中谷だが、まったく満足はしていない。 「しっかりコントロールして、仕留めたという点は良かったです。練習は嘘をつかないと、改めて学びました、でも、まだまだ自分にとっては通過点です」 ルディも目を細めながら話した。 「あんな簡単にサンティアゴを屠るなんて、驚いたね。ジュントは実にボクシングIQが高い。グングン伸びている。まだまだ上にいけるよ」 リングで笑顔を浮かべながら戦慄のノックアウト勝ちを飾った新WBCバンタム級チャンピオン。その走りっぷりは加速しそうだ。 取材・文:林壮一 969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。
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