フェリーニ、ゴダール、ベルイマン…ウディ・アレンが語る、新作に込めたヨーロッパ古典映画への愛情
ニューヨーク映画の巨匠ウディ・アレンにとって、50本目に手掛けた長編映画となった『サン・セバスチャンへ、ようこそ』が1月19日(金)より日本公開を迎える。それに合わせてMOVIE WALKER PRESSではアレン監督にインタビューを敢行。フェデリコ・フェリーニやイングマール・ベルイマンなど、アレン監督自身が敬愛する映画作家たちとヨーロッパ古典映画へのオマージュに満ち溢れた本作について、たっぷりと話を訊くことができた。 【写真を見る】ニューヨーク映画の巨匠が久々にヨーロッパへ!美しい街サン・セバスチャンの魅力がいたるところに 今作の舞台はスペイン北部、バスク地方に位置するサン・セバスチャンで毎年開催されている「サン・セバスチャン国際映画祭」。かつてニューヨークの大学で映画を教え、いまは人生初の小説の執筆に取り組んでいるモート・リフキン(ウォーレス・ショーン)は、映画業界のプレス・エージェントである妻スー(ジーナ・ガーション)に同行してサン・セバスチャンへやってきた。 映画祭が開幕するや、スーは新進気鋭のフランス人監督フィリップ(ルイ・ガレル)と恋人のように振る舞い、彼の才能を認めていないモートは極度のストレスでモノクロの夢や幻想を見るようになる。友人の紹介で現地の診療所に赴いたモートは、そこで出会ったスペイン人医師のジョー(エレナ・アナヤ)に淡い恋心を抱くのだが、ジョーは芸術家の夫との生活に問題を抱えていた。やがてモートは、自分の“人生の意味”について考えを巡らすこととなる。 ■「サン・セバスチャンは、完璧で大好きな街」 ――サン・セバスチャン映画祭は『メリンダとメリンダ』(04)のプレミアが行われた場所だと記憶しています。その次作から7本(『人生万歳!』を除く)をヨーロッパで撮影されていました。今回『ローマでアモーレ』(12)以来久々にヨーロッパで映画を撮った理由を教えてください。 「まずスペインにいる方から、スペインで映画を撮るのであれば資金を提供しますというオファーが来たことがきっかけでした。バルセロナやオビエド、アビレスなど素敵な街は色々ありますが、そのなかでもサン・セバスチャンはとても美しい街です。温暖で涼しい気候で、人も食事もすばらしく、私にとって完璧で大好きな街なのです。それにこの場所は映画祭がある。撮影で数週間滞在できるということもあり、サン・セバスチャンを舞台にすることを選びました」 ――今作で特に目を引いたのが、監督が敬愛されている巨匠たちの作品の直接的なオマージュです。終盤のフラッシュバックには監督自身の映画愛を強く感じたのですが、これらの作品を選んだ理由はなんだったのでしょう? 「一番の決め手となったのは、“映画祭を舞台にする”ということに即した作品であることと、ストーリー運びに適した作品だということでした。フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』、イングマール・ベルイマンの『仮面ペルソナ』と『野いちご』、そして『第七の封印』。ほかにもフランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』にオーソン・ウェルズの『市民ケーン』、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』、クロード・ルルーシュの『男と女』、ルイス・ブニュエルの『皆殺しの天使』。いずれも優れた作品であり、映画史に残る偉大な作品たちであるということは間違いないでしょう。 しかし、それぞれの監督のフィルモグラフィのなかで私が一番気に入っている作品かと訊かれれば、そういうわけでもありません。好きなものから選ぶことよりも、より実用的な判断としてこれらの作品を選択したのです」。 ――そのなかでもベルイマンの『第七の封印』は監督のお気に入りの作品だと存じております。過去にも『ウディ・アレンの愛と死』など複数の作品でオマージュされていましたが、今作では終盤のシーンで少々不吉な表現といえるかたちで使われていました。このシーンの真意を教えてください。 「あえていうならば、生と死をより浮かび上がらせることです。寿命は、あるいは時間というものは限られています。そして主人公のモート・リフキンは振り返ることになるわけです。自分の人生や、生きるということ。やりたかったことや、なるべく急いでやったほうがいいこと。手掛けたほうがいいことや、やり残していたことなど。それらを描いています」 ■「マーティン・スコセッシの映画はいつも楽しみにしている」 ――モートとスーがサン・セバスチャンでそれぞれ別の相手と恋をする展開には、前作の『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』(19)と同様にフェリーニの『白い酋長』(52)の影響を感じました。このように類似したモチーフを繰り返し描かれる理由についても気になっています。 「私自身は『白い酋長』から直接的に影響を受けたと感じたことはありません。ただ、全体的にフェリーニの作品との類似性については否定のしようがありません。フェリーニも様々な作品を撮っていますが、『白い酋長』は彼が特有のスタイルを獲得する前の作品です。コメディタッチな要素も強く、作品としては大好きなので、ストーリーを伝えるということに則して言えば無意識に使っていたかもしれませんね」 ――モート役のウォーレス・ショーンについてもお伺いしたいことがあります。『マンハッタン』(79)でデビューされ、その後も監督の作品に脇役として出演してきた彼を主役に配した理由はなんだったのでしょう?また、監督ご自身でこの役を演じなかったのはなぜでしょうか? 「いい質問ですね。私は映画をより若い、魅力的で一般的な主役級の方を想定しながら書いています。ただこの作品を作った時には、都合に合う俳優を見つけることができませんでした。そのなかでウォーレスの名前を挙げてくれた人がおり、すぐに『彼だ』と感じました。この役だったら私が演じても充分できていたと思います。ただウォーレスほどうまく演じられたかどうかはわかりません」 ――『カフェ・ソサエティ』(16)以降の近作は、すべてヴィットリオ・ストラーロに撮影監督を任せていらっしゃいます。彼の特徴的な1:2.00の縦横比の画面が、あなたの作品世界にどんな効果をもたらしているのか。彼との仕事について感じていることを教えてください。 「映画撮影監督の歴代においても、ヴィットリオは天才と言えるでしょう。彼自身もたくさんのアイデアを持っていて、一緒に仕事をしていてとても楽しいということが大きいです。私たちは撮影前に一緒に、映画のアプローチや視覚的な構想というものを話し合い、合意した後にストーリーに即したシネマ的な面を実行していきます。それをスタイリッシュな方法で実現できるのがヴィットリオなのです。そのためある程度の時間を費やしながら話し合いを重ねています」 ――監督の古典への愛情を、本作を通してより強く感じることができました。ところで、普段は新作の劇映画を観ることがあるのでしょうか?最近ご覧になって気に入った映画があれば教えてください。 「実は2023年は劇映画を1本も観ていないんです。ドキュメンタリー作品はいくつか観て、とてもいいものもありましたが、とにかく映画館に行く時間がない。それでもマーティン・スコセッシの映画はいつも楽しみにしているので、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は是非観たいと思っていますよ」 取材・文/久保田 和馬