ゲームと映画の表現は近づいている? メディアを超えた“世界の構築”が新たなトレンドに
似通い始める映像作品とゲームの表現
事業的な相乗効果があることがわかったが、ではゲームと映像、双方の表現にとって、このマリアージュは幸せなことなのかどうかも検討したい。 映像とゲームは動くビジュアル表現として重なりあう部分を持ちながら、決定的に異なる点がある。それは映像作品は、受動的な視聴体験を提供するのに対して、ゲームはインタラクティブにユーザーが操作して楽しむものだという点だ。同じビジュアルメディアでありながら、食い合いがよくなかった理由は、これに尽きるだろう。能動的にゲームをプレイする時の快感と、受動的に映像を見る体験は決定的に異なる。ゲームは一人ひとりに固有のプレイ体験があり、映像作品は誰がいつ見ても同じものであり、カットが切り替わるタイミングも芝居も音楽も、上映時間も変化しない一方、ゲームは誰もが固有のリズムで楽しむ。 とはいえ、両者は演出の面では接近し始めている。ゲーム内ムービーで映画的な演出を志向するゲームは増加しているし、映画のほうでも一人称視点のゲーム感覚や、オープンワールドを探索するかのような長回し映像を導入する作品が表れている。両者の表現が似通い始め、映画も没入体験を重視し、ゲームも時にプレイ体験のみならず、鑑賞としての面白さを提供することもある。映画でゲームのような没入体験を提供することも、ゲームで映画のような感動と興奮を与えることもできるようになってきたのだ。
ゲームと映像にまたがって世界観を構築する時代の到来?
映像作品とゲームの見せ方が似てきているなら、両者をまたいで一つの世界観を作り上げることも可能ではないか。MCUは複数の作品にまたがって統一した世界観を示し、その広大な世界で物語をひとつずつ切り出し、連結させていくことで「ユニバース」を構築した。この手法をゲームと映像にまたがって展開するとどうなるのか。 先に紹介した『サイバーパンク エッジランナーズ』は、ゲーム本編には名前だけが登場するキャラクター、デイビッド・マルティネスを主人公にしている。つまり、ゲームの世界にある、本編とは別の物語を描いた。これによってゲームユーザーにとっても新鮮かつ、世界観をより深く味わうことができた。 『THE LAST OF US』は概ねゲーム本編の物語を忠実になぞったが、時折脇役にスポットをあてたエピソードを挟むことで、ゲーム世界を深化させることに成功している。そうした世界観の共有化と掘り下げは、今後さらに丁寧になっていくのではないか。とりわけ、オープンワールド形式のゲームは、プレイヤーの数だけ物語があると言えるし、映像作品は、そんな数多ある物語の一つのように感じられるだろう。オープンワールドのプレイ動画を動画配信サイトにアップしている人は多いが、プロによる映像作品は、洗練されたプレイ動画のようなものと言えるかもしれない。 MCUのように広大な世界を構築し、ひとつの作品だけで完結させない物語のあり方を、批評家の渡邉大輔氏は「ワールドビルディング」と呼ばれると紹介している(※5)。ゲームと映像のカップリングはこれをさらに発展させたものと言える。世界の構築(ワールドビルディング)が、映像作品だけでなされるのではなく、ゲームと映像にまたがってなされるのだ。 ゲームユーザーは自らのプレイで世界の一員となる。そして、その世界にはさらにもっと色んな物語があることを、映像作品を通じて知る。それによって、ゲーム体験はさらに没入感とリアリティを増し、体験の質が向上していく。ゲームのインタラクティブ性と映像作品の物語性がこのような好循環を産む可能性がある。 それが本当に実現できるのであれば、ゲームの映像化は単なるメディアミックスに終わることなく、新たな形式の表現となるかもしれない。映像とゲームを等価に展開し、一つの世界を紡ぎ高度な物語と没入感を提供する、それはビジュアルメディアの未来を形成することになるのでは、と筆者は思う。 参照 ※1. https://automaton-media.com/articles/newsjp/20230502-246098/ ※2. https://collider.com/avatar-2-the-way-of-water-box-office-budget/ ※3. https://www.gamespark.jp/article/2023/01/23/126383.html ※4. https://www.theverge.com/2023/2/13/23597863/hbo-the-last-of-us-tv-show-game-part-i-sales-npd-group ※5. https://realsound.jp/tech/2018/03/post-164358.html
杉本穂高