杉良太郎「信念に基づいて行動すればいい」 15歳から刑務所慰問、64年の福祉活動の“真髄”語る
「社会貢献活動は強制されたものではなく、自主的に芽生えたものなんです。人のために尽くすこと。これは苦しくて、どうにもならなくなったらやめればいい。でも、やれるようならば、いつまでやってもいい。『いつやめても良し、いつまでやっても良し』。これをモットーにしてきたことが、やって来られた要因かなと思います」 5月15日、杉良太郎の鹿児島・海上自衛隊鹿屋航空基地の訪問を取材した。この発言は、現地メディアの「長年、被災地支援を続ける理由と思いは?」という質問に対する答え。発する言葉も自然と熱を帯びた。 デビュー前、15歳から刑務所慰問を始め、64年にわたって福祉活動に努めてきた。阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災では炊き出しを実施。今年1月の能登半島地震の際には金沢市内の1・5次避難所、石川県七尾市内の漁港を訪問。現地で炊き出しを行ったのは記憶に新しい。 記者も何度か現地で取材し、杉が膝を突き合わせ、被災者に寄り添う姿を間近で見てきた。抱いたイメージは“発言と行動にウソのない人”。過去には「売名行為」と揶揄(やゆ)されたが、この日も「人助けは戦い。『売名』と言う人もいたけど、『売名』と言うなら、東日本大震災(発生時の炊き出し)でカレー5万食を作ってみろと。なかなかやれないですよ。人に何を言われても、信念に基づいて行動すればいい」と話すなど、意に介さない。 一方で、福祉活動に対する敷居を上げすぎないでほしいと説く。「お金がある人は、お金を寄付すればいい。お金がない人に無理を言っても仕方がない。時間はお金に匹敵するぐらい大事なものだから、お金がない人は時間を出してあげたらいい。お金も時間もないなら、福祉活動をやっている人を理解してあげてほしい。そうすれば、あなたは立派な福祉家です」 元来、人が困っているのを放っておけない性格で、ルーツは「生まれつき」という。福祉活動の理解が1歩目。その輪が少しでも広がることを願い、微力ながら発信を続けていきたい。(加茂 伸太郎)
報知新聞社