「死者の手」ロシアの核ミサイル自動発射システムは「今も機能している」 現地メディアの報道から読み解く「最高機密」の現状
そもそもロシアの「核ミサイル自動発射システム」とは何なのか。米国とソ連が大量の戦略核ミサイルを保持し、お互いに角を突き合わせた冷戦時代、ソ連にとっての最大の懸念の一つが米国の先制核攻撃により、ソ連の核制御システムが徹底的に破壊され、報復攻撃もかなわずに一方的に国家が崩壊することだった。 同様の懸念を持つ米国は冷戦時代、「オペレーション・ルッキング・グラス(鏡作戦)」と称される作戦を立案。地上の核制御システムが破壊された場合に備え、同システムを備える複数の航空機を交代で24時間空中待機させるというもので、1961年から冷戦終結の90年まで作戦は続けられた。 これに対し、ソ連は異なったアプローチを取った。軍参謀本部や、大統領(当時は共産党書記長)の傍らに常に置かれる「核のブリーフケース(通称チェゲト)」をはじめとする人の手を介した指令システムが破壊された場合、地下サイロに隠された「指令ミサイル」を打ち上げ指令電波を発信、残存する大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、戦略爆撃機搭載ミサイルなどの核発射システムを自動的に起動させるというものだ。実現すれば、史上初の核兵器自動制御システムとなる。
1970年代に開発が始まり、85年に実戦配備されたとされるこのシステムはロシア語で「ペリメトル」と呼ばれる。ペリメトルとは周長(多角形や円の始点から終点までの長さ)の意味だが、軍事用語では防御線と、防御線に囲まれ安全が確保された領域を指す。 ソ連崩壊後、同システムは91年の米ソ間の第1次戦略兵器削減条約(START1)調印に伴い、95年に実戦配備から外されたとの一部報道もあったが、ロシアに引き継がれ配備が継続しているとの見方が強い。 一方、米国による先制攻撃を警戒して、そのシステムは最高機密とされ、公式に裏付けられたデータはほとんどない。西側にその存在が知られるようになったのは、93年に米紙ニューヨーク・タイムズが報じたのがきっかけで、その後、システムの開発に携わった戦略ミサイル部隊元幹部のワレリー・ヤルイニッチ氏が米カリフォルニア州立大学教授に就任、システムの存在を明らかにした。同氏の情報公開は、ロシアとなってもシステムが健在であることを米国に知らしめるため、ロシア政府の承認の元で行われたとの説もある。