【追悼】KANさん ヒット曲『愛は勝つ』ツアー打ち上げで語った本音「“性”について踏み込みたい」
「『愛は勝つ』のKANと言われることに関しては、代表作1コはほしいものだし、そう言われることを否定はしません。ただ、どこにいっても『さわやか』の代名詞みたいにいわれるのは、正直いって最高の気分じゃない。ボクだってHなことも考えますし」 【二度と観られない勇姿】すごい…!ライブで熱唱する人気絶頂期のKANさん そう言って、カメラに向かって、KANさんはお決まりの“バンザイポーズ”を披露した--。 KANさんが11月16日に亡くなったことを所属事務所が公式ホームページで発表した。享年61だった。今年3月に公式サイトで『メッケル憩室癌(がん)』を公表し、療養。入退院を繰り返し復帰を目指していたが、その想いが叶うことはなかった。 KANさんといえば、’87年に初アルバム『テレビの中に』でデビュー。’90年秋、シングル『愛は勝つ』が『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)の挿入歌に使われたことでセールス200万枚超えの大ヒットとなった。 翌年の5月、『愛は勝つ』ヒット以降、初となるニューアルバム『ゆっくり風呂につかりたい』をリリース。それを受けて1ヵ月間、全国ツアーを行った。『FRIDAY』は、公演最終日となったツアーの打ち上げ会場でKANさんの独占インタビューを行っている。「『愛は勝つ』のヒットを正直どう感じているか?」という問いに対して、KANさんは冒頭のように答えてくれたのだった。 ◆30歳になって「童貞」みたいな雰囲気の歌ばかりだと…… 会場は庶民的な普通の居酒屋。メンバー全員ラフなスタイルの中、KANさんはジャケットに蝶ネクタイというスタイリッシュな出立ちだった。最初に『愛は勝つ』誕生秘話について伺うと、 「ボクは1曲作るのに、けっこう時間をかけるほうなんですよ。例えば、『♪心配ないからね』というフレーズが高速道路を走っているときにふっと浮かぶ。それから1年以上たったある日、床屋の帰りに、そういえばあの曲の続きはこんなのがいいかなと思えるメロディが浮かんでくる。 自分の経験とかいろんなものが積み重なってできるものなんですね。あの曲も、そうやって2年かかってできたんですよ」 ただ、彼はこのヒットに胡座をかいているわけではなかった。冒頭の言葉にあるように、「KAN=さわやか」というイメージに違和感を覚えた彼は、今回のツアーを「イメージ一掃キャンペーン」と語っていたのだ。 「ボクだっていつまでも『健全・安全・好青年』のイメージじゃいけませんから。これからの課題としては『性』というものに対してもう少し踏み込んで表現してみたいですね。30歳になって『童貞』みたいな雰囲気の歌ばかりだと、今までの曲がリアリティをなくしてしまいますから。ただそれを自分の歌でどう取り入れるか、いい方法が見つかるまで曲にしませんけど」 そう言って厳しい表情を作ったKANさん。 「世間では一発屋のイメージが強いですが、アニメ『YAWARA』の主題歌『雨にキッスの花束を』をはじめ、多くのアーティストに楽曲提供をしています。’02年には、ピアノを学び直すために、フランス・パリのエコールノルマル音楽院のピアノ科に入学。 ’13年には、くまモン公式イメージソング『くまモンもん』の作詞(小山薫堂との共作)作編曲も手がけました。まだまだ、日本のポップ界には必要な人材でした」(音楽雑誌編集者) 今年は、『YMO』の高橋幸宏さんに坂本龍一さん、谷村新司さん、『BUCK-TICK』の櫻井敦司さん、そして『X JAPAN』のHEATHさんもこの世を去っている。音楽業界にとっては、あまりに悲しい1年となった……。ご冥福をお祈りします。
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