岸田首相、退任後の立ち位置は キングメーカー・院政・入閣…戦後の首相の歩みに見る
退任の記者会見で「新たなリーダーを一兵卒として支える」と語った岸田文雄首相。退任後、どんな立ち位置を目指すのか注目される。「キングメーカー」となるか、権力闘争から距離を置くのか。過去には返り咲きを目指したり、得意分野で入閣したりした首相もいた。中国地方を地盤とした戦後の先輩首相7人の歩みを振り返る。 中国地方選出の戦後首相の在任期間 竹下登氏は、師事した田中角栄氏と同じく、首相退任後にキングメーカーの道をたどった。リクルート事件が引き金で1989年に退陣した当初は「球拾いに徹する」と殊勝だった。しかし有力派閥「経世会」の実質的支配者として宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一の3内閣誕生に関与する。 岸信介氏は「60年安保」で世間を揺るがした責任を取る形で辞意を表明した直後、暴漢にナイフで太ももを刺される。それでも自民党右派のボスとして影響力を保つ。 岸氏の後を受けた池田勇人氏はがんで、64年東京五輪の閉会式翌日に退陣を表明。後継の佐藤栄作氏は7年8カ月の長期政権を築いた後、沖縄返還などが評価され、ノーベル平和賞を受ける。 「仕事人」として入閣した元首相もいる。宮沢氏は退任の5年後、時の首相、小渕恵三氏に請われ蔵相に就任。昭和の時代に蔵相を務めた首相経験者になぞらえ「平成の高橋是清」と呼ばれた。 橋本龍太郎氏も、小渕氏から「首相外交最高顧問」を任され、続く森喜朗内閣でも行政改革担当相などを歴任。首相返り咲きを目指したが、2001年の自民党総裁選で小泉純一郎氏に敗れた。 安倍晋三氏は第1次政権を1年で幕引きし「終わった人」との声もあった。退任から半年後に地球温暖化に関する勉強会を設立し、仲間集めを始め、12年の自民党総裁選を制して復権。史上最長の第2次政権を閉じた後も派閥の力を武器に菅義偉、岸田両氏の政権運営に影響力を及ぼし「安倍院政」と呼ばれた。
中国新聞社