中学校でやめるーから始まった五輪への道 伸び盛りの23歳Vリーガー、世界での経験糧に進化へ バレーV1パナソニック
無限の可能性秘めるエバデダン・ラリー、「オリンピックに出られたらかっこいい」
10月のパリ五輪予選を突破し、2大会連続の五輪出場権を手に入れたバレーボール日本男子。五輪予選東京大会に出場したエバデダン・ラリー(パナソニック・松本国際高―筑波大出)は目を輝かせながら語る。「道はすごく険しい。でも、オリンピックに出られたらやっぱりかっこいい」。無限の可能性を秘める23歳は、訪れたチャンスをつかもうとしている。 【写真】インターハイでアタックを決める高校1年時のエバデダン
父はナイジェリア人、身体能力の高さが魅力 筑波大時から日本代表に選出
五輪出場決定の瞬間は、東京・国立代々木競技場で迎えた。「快挙の場にいられたのは率直にうれしかった」。最後の米国戦に出場し、「自国開催の世界大会は初めて。最高の雰囲気の中、世界トップの米国と戦えたのは忘れられない経験」と語る。 195センチの身長は海外のミドルブロッカーと比べると大きくないが、ナイジェリア人の父から受け継いだ身体能力の高さが魅力だ。筑波大4年生当時の2022年から日本代表の登録選手に名を連ねるなど、日本代表のフィリップ・ブラン監督の期待の高さをうかがわせる。
信州で過ごした高校時代、膨らんだバレーへの愛
高校時代を「原点」と語る。3学年上の兄・ジェフリー(V2富士通)の後を追うように、長野県松本市の創造学園高(現松本国際高)に進んだ。 「しなやかな体つきに天井(能力)の高さを感じた」。入学時はコーチ、3年生の途中から指揮官として指導した壬生裕之監督はそう振り返る。技術的には未熟だったが、才能を見込んだ壬生監督は、入学当初から上級生と一緒に練習させた。 「本当は、バレーは中学まででいいかなって思っていた」とエバデダンは明かす。しかし、全国区の高校でもまれ、「それまでバレーの面白さに気づいていなかった。新しいことを吸収し、どんどんのめり込んだ」。テレビやインターネットで代表戦やVリーグの試合を食い入るように見始めた。
「厳しい環境を耐え抜けたのは、高校で人間的に成長したから」
3年生になると大黒柱に成長。けがの主将に代わり、ゲームキャプテンも務めた。壬生監督も「言われたことしかやらなかった(エバデダン)ラリーが、チームや自分に必要なものを感じ取って行動するようになった」と変化を認める。 全国高校総体2回戦で優勝候補の洛南を追い詰めたが、自身が好機で決めきれず逆転負け。その後は、練習で自分を追い込む姿が増えた。才能が開花したのは筑波大に進学してからだが、「とてつもなく厳しい環境を耐え抜けたのは、高校で人間的に成長したから」と強調。バレーへの愛情を膨らませた信州に、「高校3年間だけだったけれど、自分にとって第二の故郷」と愛着を感じている。