複雑骨折も「全治一瞬」と諦めず 安井友梨がビキニ人生を通して貫いてきた“信念”【特別手記#4】
昨年、左足基節骨粉砕骨折という大怪我に見舞われながらも奇跡の復活を果たし、世界大会で快挙となる優勝を成し遂げた安井友梨選手。その道中では、まともに歩くこともできずに、何度も立ち止まりそうになった。そんな苦境に立たされた安井選手を支えた“恩師”からの言葉とは?安井選手自らが綴る、奇跡のドラマの舞台裏。(発売中の雑誌『月刊ボディビルディング2024年3月号』から一部抜粋) 【大会写真】安井友梨選手がステージで披露した“世界一”の肉体
失って、手に入れたものとは?
ビキニ人生の中で、何度も苦しい闇夜が続くこともありました。そんなときでも、皆さまが立ち止まりそうになる私に、進むべき道をまさに〝道しるべ〟のごとく照らしてくださったから、私は一歩一歩進み続けることができました。いついかなるときも、皆さまが“明けない夜はない”ことを教えてくれました。 ダイエット目的で、名古屋にあるエクサイズトレーニングスタジアムにはじめて行った2014年11月30日から丸9年になりました。初日のパーソナルで柏木三樹先生から、「優勝を目指す覚悟があるなら、必ず優勝させてみせる。どんなに辛くても、ついてきて欲しい」という情熱あふれる言葉をもらい、その言葉を信じ柏木先生についていきました。その結果、トレーニング開始から10カ月でオールジャパンで初出場初優勝することができました。 柏木先生が私にビキニのヒールをはじめて履かせてくれ、それまでの自分から生まれ変わり、まるでシンデレラにでもならせてもらえたかのように、今日までの9年間、“自分と未来”を変えさせてもらいました。 今回の骨折後、柏木先生にようやく会いに行けたのは、オールジャパン大会1週間前でした。腫れがひかず、ヒールに足が到底入らないことはわかっていました。柏木先生からは、事前にヒールを送って欲しいと言われ、今回ダイアナのヒールをストラップあり、なし含め、サイズを24、24.5、25、25.5で合計10足買い足しました。当日腫れがどこまでひくかわからないので、サイズがどうなるか分からなかったからです。大会でヒールは、いつも24を履いていました。ダイアナが売っている一番大きなサイズが25.5までだと知り愕然としました。25.5では入るはずがない。現状、普通に歩くこともできず、ましてやヒールを履くことなんてとんでもないとドクターストップがかかっていましたが、1週間後の大会に出るつもりでした。「なにかあったら自分が責任をとるから、大丈夫だからヒールを履かせる」と柏木先生に言われました。 柏木先生は、1時間ヒールと睨めっこして、どうしたら履くことができるのか、ヒールの構造を分析してくれました。腫れている親指部分のビニールに、ドライヤーで熱風をあてて広げ、それでもまだ入らなく、再度広げました。 それまで自分では一日でも早く履かなければ大会に間に合わないとわかりつつも、怖くてヒールは履けませんでしたが、怖がって痛がる私に柏木先生は、無理矢理ヒールをもう一度履かせてくれました。あのとき、柏木先生がヒールを履かせてくれなかったら、オールジャパンには間に合わず、その後のシンデレラストーリーかのような奇跡の数々はありませんでした。「柏木先生が大丈夫と言うんだから、大丈夫だ。やるしかない」 最後は柏木先生に対する絶大なる信頼だけでした。ビキニチャンピオンとしてだけでなく、一人の人としてどうあるべきかを教えてくれ、わがままで周りがまったく見えていない私を柏木先生はここまで育ててくれました。「ただ強いだけのチャンピオンではだめ。誰からも慕われ、尊敬され、憧れとなるチャンピオンになれ。安井がいてよかったではなく、安井がいなければ困ると言われるチャンピオンにならなければいけない」と教えていただきました。柏木先生を信じてついてきたおかげで、ビキニフィットネスチャンピオンに、日本では8連覇、フィットモデルでは世界一にまでさせていただきました。 柏木先生は9年前に私と交わした約束以上のことを私にしてくれています。柏木先生のおかげでここまでくることができました。本当に感謝しています。