<はばたけ東・硬式野球部誕生>/上 「応援で学校に一体感を」 PTAと教師協力、校風を改革 /和歌山
◇生徒の個性尊重しつつ創部奔走 「生徒の心を一つにするために硬式野球部をつくろう。紀三井寺(球場)に行って、みんなで応援しよう」。和歌山東のPTA会長を務めていた西山義美・特別後援会会長(65)が、役員会で提案したのは2005年のことだった。話を持ちかけたのは副会長だった田村雅之・後援会会長(59)。田村さんの息子は大阪府内の高校で甲子園に出場した。「野球応援で、学校に一体感が生まれる」との経験があった。【橋本陵汰】 創部案は、すんなりとは通らなかった。学校側からストップがかかった。当時の校長、上里昌輝さん(73)も思いは賛成だった。「学校は定員割れギリギリ。多くの生徒が入ってきて学校も活性化する」。しかし、課題があった。「軟式野球部もあり、グラウンドを広く取れない。軟式を硬式に変えるにしても、選手とOBの存在を無視してはいけない」。近畿大会への出場経験もある軟式野球部のことを考えると、簡単にGOサインは出せなかった。「見た目だけで世間から生徒が攻撃されないか」。教師や保護者の間では、こんな心配も交わされた。当時、個性豊かな髪色をしたり、制服を着崩したりしている生徒も多かった。硬式の大会ではテレビ中継がある。生徒を守るためでもあったという。 卒業後、「東高出身です」と胸を張って言えるように、まずは「礼儀」と「身だしなみ」。06年、頭髪や服装などの校門指導を開始した。PTA役員と教師が協力し、交代しながら毎日、朝から正午過ぎまで門前に立った。「昨日までは良かったのに、何であかんのや」と生徒から反論もあった。上里さんは「大人の考えだけを押しつけることはしなかった」と明かす。 学校では例年、1年生が粉河駅から貴志駅まで約16キロの道のりを歩く「紀の川市横断歩行」を行っている。この時、私服を認めている。上里さんは「学校の主役は『子ども』。私服だと個性が出て、どんな生徒なのか理解しやすい」。この場面は私服でいいから学校ではちゃんと制服を着よう――。対話を重ねながら、創部に向けて学校の仕組みを変えていった。 それから3年。学校の雰囲気も落ち着いてきたころ、上里さんは定年退職となった。「向き合えば、よい生徒たちばかり」と共に取り組んできた西山さんも、PTA会長を辞めようと思っていた。「まだ硬式野球部を作っていない」。上里さんは西山さんを引き留めた。バトンは09年から新しく校長となった萩原勝則さん(66)に引き継がれた。 ◇ 18日に開幕するセンバツ。創部12年目で、春夏通じて初の甲子園をつかんだ和歌山東が土を踏む瞬間が迫ってきた。開幕日の試合で入場行進もするナインを、万感の思いで見守る関係者に創部の経緯や思いを聞いた。