長谷部誠「恩師が明かす秘話」…青学に憧れていた「チャラ男」がレジェンドになれた「本当の理由」
化けたきっかけ
日本代表では長く主将を務め、W杯には2010年南アフリカ大会から3大会連続で出場。ドイツ1部でも通算383試合に出場するなど日本サッカー史に残る実績を残した長谷部誠(40)。 【写真】世界騒然… 「何もつけずにサッカー観戦」美女の大胆ショットの数々 しかし、前編記事『「完璧なキャプテン」とは程遠かった…恩師が明かす長谷部誠が青学進学を希望していた「チャラ男」時代』でも紹介したように、高校時代はプロとは程遠い存在で、大学進学を念頭に入れていた。しかも、志望校は華やかなイメージのある、あの有名大学だった。静岡県立藤枝東高校時代の恩師で、現在は静岡県サッカー協会副会長を務める服部康雄さん(67)さんが振り返る。 「進路希望表を書かせたところ、そこには青山学院大と記されていました。サッカーを第一に考えている生徒は、筑波大など強豪大学の名前を書くことが多い。ところが、彼は青学に行きたいというわけです。おそらく都会でのキャンパスライフに憧れていたのでしょう(笑)」 服部さんが浦和からの関心を長谷部に伝えたのは3年生の春。「プロは遠い存在」と思っていた長谷部は喜ぶ以上に驚いていたというが、これを機に一気に化けたという。 「プロの道が現実味を帯びると、明らかにモチベーションが変わり、夏のインターハイ前にぐんと伸びました」 プロという明確な目標ができた長谷部は主力としてチームを牽引。高校総体ではチームを全国準優勝に導いた。この活躍を受け、同年8月には静岡県高校選抜の一員としてSBSカップ国際ユースサッカーに出場。1学年下の選手が中心の18歳以下の日本代表と対戦した。
代表入りを直訴
「相手のU18日本代表には長谷部の一個下のチームメイトもいましたが。両チームの選手の中で明らかに一番光っていたのが長谷部でした。U18日本代表を率いる田嶋幸三監督(前日本サッカー協会会長)は筑波大学の後輩。そこで『長谷部は早生まれだからこの世代にも入れるぞ』と代表へ加えるよう直訴しました。私は年代別の代表に何人も送り込んできましたが、そんなことをしたのは長谷部が最初で最後です」 結果的にメンバー入りはならなかったが、無名の存在から年代別代表入りが狙えるほど急成長した長谷部は、オファーがあった浦和、名古屋への練習参加を経て浦和入りを決断した。 「本人が決めました。浦和はサポーターが熱い。それも決め手になったのではないか。私は本人の意見を尊重しますし、彼の親御さんも同様でした。 入団当初は無名の存在でしたが、ハンス・オフト監督に潜在能力を見初められ、2年目からレギュラーを確保しました」 浦和で6年プレーした後、24歳のときにドイツに渡り、3チームを渡り歩いた。日本代表では国際Aマッチ114試合に出場。キャプテンとして3大会連続でW杯に出場した。