鉄板神社社長の生き方「小規模店舗」にこだわる理由とは
メディアにたびたび取り上げられている店、鉄板創作串焼き屋「鉄板神社」をご存じだろうか。田中寿幸社長(41)は福井県の漁師町出身。25歳の時に大阪に出てきて、ブレーンゼロ、友人・知り合いゼロ、ノウハウ・経験ゼロ、事業計画ゼロのまさにナイナイ尽くしで9坪の店からスタートした。鉄板神社は現在6店舗、さらにこのほどイタリアのベネチアに海外1号店を出すという。「ビジネスではなく、商いをすること。商売でいちばん大切なのは人間力です。強い覚悟が人を変え、店を変えます。東京進出の前に海外に1号店を出します」と田中社長は話す。その生き方とは? 海外進出も・大阪名物串カツ発祥の店「だるま」 ── あの名物看板社長に聞く成功の秘訣
高校卒業後、クレーン運転手などで6年働き一念発起で大阪へ
鉄板神社は2年ほど前、ミナミの宗右衛門町にある「本店」が24席で月商1800万円、道頓堀店は35席で2000万円、難波店は50席で2300万円という脅威の月間売上を達成し、メディアなどで取り上げられていた。田中社長は高校卒業後に地元の土木建築会社でクレーン運転手などで6年間働き、一念発起して大阪に。 「25歳の時、親の反対を押し切って、安定した仕事を捨て、社長になりたいという気持ちだけで大阪に来ました」と当時を振り返る。大阪のお好み焼き屋でアルバイトを始めたが、飲み込みが悪く、1か月で退職。次に勤めた店が鉄板串焼き屋だった。そして26歳で独立し、4坪9席の小さな店から商売を始めた。 「開店当初は、どれだけ待ってもお客様が入って来ませんでした。半年くらいは苦労しました。ましてや僕は福井県の小さな村から出てきて、知り合いも友人も全くいない完全アウェーでやってましたから。夜の11時の閉店まで客がゼロなら、朝5時まで開けようと。それでもダメなら7時まで8時まで開けようと思いました。根性だけでしたね」
小規模店舗にこだわる理由とは
界隈に店がなく、たまたま立ち寄った客を逃がさなかった。必死でトークし、料理を作り、もてなした。次第に客が増えていった。わずか9席なので、時々は満席になる。その時は「満席」の札をわざわざ入り口に出した。これが宣伝になった。 「僕が小規模店舗にこだわるのは、この時の経験からです。小さい店だと、満席が最大の宣伝効果になる。100席で50席埋まっていても、50席空いてたら、暇な店やなと思われる。 “常に忙しく、常に満席である”ことが大事なんです」 2006年に2店舗目を出し、それからは毎年1店舗ずつオープン、現在は6店舗になった。「9席の店をやっていた3年間は、過労で、3回救急搬送されました。昼の1時に市場で仕入れを行い、2時から仕込み、5時にオープン。それから朝の8時9時まで営業、3時間の仮眠をとってまた市場へ。これを365日、休みなく続けてましたから」 粉骨砕身して働いた理由は、大阪で成功しなかったら故郷へは帰れないという強い思いからだ。「飲食店を目指す人は倒れるくらい働く経験をすべきだと思っています。成功するかしないかは、オーナーの強い気持ちです。根性の上をいくのは“執念”だと考えています」と、田中社長は話す。