「切断した自分の小指を持って、女性の実家へ…」誘拐して強引に“妻”とした女性が逃げ出し、呆然。取り乱した青年が取った“衝撃の行動”
ある恐るべき事件
1918年(大正7)、高知県で恐るべき事件が起こった。 絹子(仮名)という16歳の娘が、何者かによって連れ去られたのだ。絹子は村で一番の美人だった。年頃でもあるので、多くの若い男たちが絹子を妻にしようと狙っていた。その中に、21歳の正勝(仮名)がいた。彼はライバルが多すぎることに悩み、並たいていの手段では絹子と結婚できないと思った。だから、絹子を誘拐して家に連れ帰ってしまったのだ。 【写真】100年前の妖しく美しい遺体写真『死後写真』が思い出させてくれるもの
取り乱した正勝は…
そして2人は「結婚生活」を送っていたのだが、5か月後に絹子は正勝の家から抜け出し、親類の家に逃げこんだ。正勝は取り乱し、切断した自分の小指を持ってその家に押しかけ、父親にこう迫った。 「娘を返せ」 父親はこう言いはなった。 「おまえの小指どころか、両腕をくれたって娘はやれん」 絶望した正勝は、その家に石油をかけ、火を放った。驚愕して逃げ出した絹子の両親を猟銃で射殺し、さらに絹子を連れ出し山の中に逃走した。そして翌日、警察により捕縛されたのだ。(中山太郎著・礫川全次編『タブーに挑む民俗学』より)
日本で行われていた誘拐婚
日本では「嫁かつぎ」「嫁ごおっとい」などと称する誘拐婚が大正時代ごろまで行われていた。要するに、女を誘拐してきて妻にしてしまうのだ。前記の猟奇的な事件は、その一つの例にすぎない。 「物くさ太郎」というおとぎ話をご存じかもしれない。あの話の中には、物くさ太郎が「辻取」と称し、女を誘拐して妻にするというシーンがある。それほど、誘拐婚はありふれたものだったのだろう。
いくつかの型が存在した
「人商」「かどわし」と称する誘拐専門の業者がいたことも知られている。だいたい、「めとる」という言葉の語源は「女捕る」――つまり女を略奪するということだった、とも言われているのだ。ひどい例になると、連れてきた女の口にお歯黒を吹きつけるといったこともあった。女がお歯黒をつけるのは大人になった証しであり、これで女は結婚したことになってしまうのだ。 「嫁盗み」にはいくつかの型がある。一つは、「女とその両親の了解なしに女を連れてくる」ものだ。これがもっとも原始的でわかりやすい誘拐婚だろう。上記の高知県のケースは、これにあたる。