赤坂の高級タワマン、5000万円超のロールスロイス…「極貧生活」から一発逆転した元「泡沫候補」マック赤坂が「70代になって失ったもの」
財を成した男の次なる目標
「もともと独立したいと思っていたから、良いタイミングだったというか。レアアースの取引きには自信があったし、独立後も一緒に仕事をしてくれるっていう取引先もたくさんあった。この頃は自信しかなかったと思う」 マック氏がレアアースの輸入販売を行うマックコーポレーションを立ち上げたのが1999年。右肩上がりに成長していった同社は、あっという間に年商50億を突破する。従業員は10名程度ながら、毎年数億円の利益を稼ぎ出していたという。 こうして事業を成功させたマック氏が、次の舞台に選んだのが政治だった。 「男たる者、財を成したら、次は名を残すべきだろうと思ってさ。いわゆる名誉欲というのかな。それから、レアアース事業と並行して力を入れていたスマイルセラピーを広めたいという気持ちもあったよね」 政見放送しかり、街頭演説しかり、マック氏はスマイルセラピーという言葉をたびたび口にしていた。なかなかのPR効果があったのではないか。 「ないね(笑)。というか、マック赤坂の名前が売れるほど、スマイルセラピーのお客さんはどんどん減っていった。政治と関わりがあるっていうだけで拒絶反応を示す人がどうしても多くて。だから当初の目論見としては大失敗」 そもそもの話、周囲の人間はマック氏の出馬を応援していたのか。
忘れられない息子の怒り
「いや、大反対だったよ。親戚からは『絶対に本名で出馬するなよ』って言われて。それで本名の誠を英語読みしたマックと自分の会社がある赤坂を組み合わせて、マック赤坂を名乗り始めたんだから。息子からも『親子の縁を切る』って言われたし」 ただ、最初こそ父に呆れていた息子も、次第に協力的になっていったという。マック氏がいまでも忘れられないのが、2012年の都知事選に出馬したときの光景だ。 「都知事選と衆院選のダブル選挙だったんだよ。いつまでも日本の政治を牛耳っている自民党をぶち壊してやりたいと思って、当時首相の安倍さんの街頭演説に乱入してね。そしたら山のようにいた自民党支持者たちが、俺に次々とヤジを飛ばしてくるわけ。『マック、帰れ! 』『こんな候補者、恥ずかしいわ』って。 そしたら息子が怒ったの。『こっちは一人で戦ってんだ。お前らにそれができんのか? 』って。あのときは、俺の背中をちゃんと見ててくれてたんだなって、しみじみとしたというかね」 今後、マック赤坂が選挙に出ることは二度とない。 取材の最後、スマイルを見せてくださいとお願いすると、快く応じてくれたマック氏。笑顔を見て、寂しい気持ちになったのは初めてかもしれない。 * * * つづく記事『これまで没収された供託金は5000万円以上…それでも今年96歳のドクター・中松氏が「都知事選」に出るワケ』では、マック赤坂氏と双璧をなす名物候補者、ドクター・中松氏の“いま”を紹介しています。
週刊現代(講談社)