覆面アーティスト増加中 背景に、その正体にあえて言及しない「お約束文化」定着
<ニュースの教科書> 近年、覆面アーティストの活躍が目立つようになりました。Vチューバーやゲーム上のアバターを見慣れた分、違和感も覚えなくなった気がします。その正体にあえて言及しない「お約束文化」が芸能界に定着してきたことも背景にあると思います。【相原斎】 【写真】素顔非公開の紅白出場JK歌手、ミニスカ写真 ■顔知られる恐怖 21年1月、Ado(22)が「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)に初出演しました。これが覆面アーティストがお茶の間にも認知される分岐点になったように思います。電話出演という異例の形でしたが、翌日には「うっせぇわ」が総再生数4000万回を達成しました。 前年にヨルシカの「ただ君に晴れ」のミュージックビデオが再生回数1億回を突破。同年末には活動3年目を迎えた、ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)が映画「約束のネバーランド」の主題歌を担当していましたから、下地はできあがっていました。 今年7月「徹子の部屋」(同)にリモート出演をしたAdoは「運動も勉強も人よりできなかった私ですが、インターネットで(一般人が)顔を出さずに歌を発表する『歌い手』という文化があることを知り、これならできるかもしれないと、ひとすじの光が差す思いがしました」と覆面デビューのいきさつを明かしています。リモート出演はもちろん番組初ですが、70歳差のガールズトークにはほのぼのとした雰囲気が漂っていました。 Adoは昨年末には「紅白歌合戦」に出場。今年4月に国立競技場でワンマンライブを開催しました。女性ソロアーティストとしては初めてのことでした。 人気者になっても顔を出さない理由は何なのでしょう。ヨルシカのsuisは「相方のn-bunaくんには『純粋に音楽を聴いてほしい』という気持ちがあります。私の場合は感性も一般人だし、顔が知れたら…という恐怖があります」と明かしています。 初のオリジナル曲「うわきされたけどまだ好きって曲。」が大ヒットしたりりあ。(23)は「単に自信がないというのと、好きなアーティストに顔出ししていない方が多く、弾き語りするのに顔っていらないのかなと思っています」と言います。 楽曲第一主義の姿勢が根幹にあり、それが連鎖的に広がってきたということなのでしょう。 11年にはコレサワ、「Vチューバー」が世に登場した16年には神様、僕は気づいてしまった(神僕)、19年にはyamaと、年を追って顔出しなしアーティストのデビューが増え、もはや1つのジャンルと言ってもいいでしょう。 07年に活動を始めた先駆者GRe4N BOYZ(GreeeeNから改名)はメンバー全員が歯科医師でした。医療と音楽活動を両立するため、アーティストとしては覆面で活動するという理由が明確で、当時は特異な例として受け止められたと思います。それでも、20年の「紅白」にシルエットで登場したときには、ちょっと違和感を覚えたことを覚えています。 昨年「紅白」のAdoは、京都・東本願寺の能舞台から中継出演。こちらもシルエットでの登場でしたが、むしろ前のめりで見た記憶があります。覆面アーティストが当たり前になり、それ用の演出も洗練されてきたのだと思います。今年も素顔非公開の現役高校生tuki.が出演します。どんなステージになるのでしょうか。 09年から幅広く活動するEveが、深夜のラジオ番組「ミュ~コミ+プラス」(ニッポン放送)に出演した際には、こんなやりとりがありました。 冒頭吉田尚記アナが「いま、僕らはEveさんに直接お会いしています。細かく描写はしませんが、かっこいいじゃないですか」と振ると、Eveは「アニメのMVを受け入れてもらっているので、僕自身を作品に出していかなくてもいいかなって感じです」。 覆面アーティストもスタッフやメディア関係者には顔を見せているわけで、そこには覆面レスラーに似た「お約束」があるわけです。覆面アーティスト増加の背景には、この「お約束文化」が広く芸能界に定着したことが大きいと思います。 ■民宿で息をのむ ここ10年あまり、映画の試写会の際には作品資料とともに「ネタバレ禁止事項」の箇条書きを渡されるようになりました。 ミステリー作品などでは、観客の興趣をそがないために紹介記事では伏せなくてはいけない事項があります。以前は評論家や担当記者の裁量に任せてもらい、そこは「あうんの呼吸」で成立していました。が、ネットメディアの参入やSNSの普及で、関係者向けの試写会に訪れる顔触れが多様化し、それまでのさじ加減を「お約束」という形で明文化する必要が生じたのだと思います。 何事にもきっちりと線を引き、文章に残す近年のハリウッド映画のやり方の影響も少なからずあります。 「裁量」といえば、80年代のロケ取材での出来事を思い出します。場所は東北の村でした。たった1軒の民宿にスタッフ、キャスト、そして朝刊紙、夕刊紙のベテラン記者と私の3人が宿泊していました。いわば気心の知れた人ばかりです。 撮影現場の取材も終わった夕刻、3人にあてがわれた8畳ほどの部屋でくつろいでいると、主演俳優のマネジャーが顔をのぞかせ「せっかくだから○○がもう少しお話をしたいと。皆さん、もう写真は撮りませんよね」と前置きしました。「はい、もちろん」と答える間もなく、主演俳優が部屋に入ってきました。 息をのみました。フサフサだったはずの髪がなかったのです。当たり前のように話す2人のベテランと違い、気が気でない新米の私はせっかくの貴重な話がほとんど入ってきませんでした。俳優が帰った後、朝刊紙の記者が「ちょっとびっくりしたね」とつぶやいたことを覚えています。 当時は心を開いた相手に対してはこちらも気持ちで応えるというおおらかな不文律がありました。すでに大ベテランの域に達していた2人の記者は亡くなっています。文字通り墓まで持っていったのです。今だったら、あらかじめ口外禁止の文書にサインする必要があるでしょう。 ■「年齢非公表」も そんな近年の「お約束文化」で逆におおらかになったこともあります。年齢の表記です。旧来、伝統的に非表記の習わしがある宝塚などをのぞけば新聞記事には必ず年齢を入れてきました。 が、年齢非公表のお約束のもと、呪縛を解かれた俳優、タレントは少なくありません。千秋、さかなくん、あの、エド・はるみ…。中川翔子もある媒体の年齢誤記をきっかけに23年には年齢非公表としました。 吉田羊は9年前のインタビューで「見る側の方々に好きに年をとらえてほしいんです。と言っても『アラフォー』だったらいいですよ。いくらなんでも、この顔で20代にはみえないでしょう。ね?」とカジュアルに語っています。 「お約束文化」の広がりで、取材される側も取材する側も楽になった部分は少なくないと思います。一方で、これは芸能界に限らないでしょうが、裁量の幅が狭まることが、そのまま思考の幅も狭めることにつながらないかと。老婆心かもしれませんが。 ◆相原斎(あいはら・ひとし) 主に映画を担当。黒澤明、大島渚、今村昌平らの撮影現場から、海外映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。覆面バンドで思い出すのはTHE TIMERS。80年代終わりから忌野清志郎さんがあえてのヘルメット手ぬぐい姿で社会風刺ソングを歌った。「デイ・ドリーム・ビリーバー」はセブン-イレブンのCMソングに。