世界遺産登録へ 富岡製糸場にあって鎌倉に足りなかったもの
「いまひとつ地味だし、近年は登録抑制の傾向にあるから……」との一部下馬評にもかかわらず、今年、世界文化遺産への登録が確実になった富岡製糸場と絹産業遺産群*。「800年以上の歴史をもつ鎌倉は落選したのに、なぜ?」との疑問がさらに一部から上がった。「武家の古都(Kamakura, Home of the Samurai)」をコンセプトに掲げ、世界遺産登録を目指した鎌倉がイコモス(国際記念物遺跡会議。ユネスコの諮問機関として、世界文化遺産候補地について登録の可否を事前審査する)から「不登録」の勧告を受けたのは、「富岡~」の歓喜にさかのぼることほぼ1年、昨年4月30日のことだ。
鎌倉に何が足りなかったのか
「日本に初めての武家政権が樹立され、貴族支配に代わる新しい体制から数々の文化や伝統、生活様式が生み出された場所」として、その価値をアピールした鎌倉。落選の最大の理由は「物的証拠の少なさ」だった。三方が山、一方が海という要害の地に機能的に配された行政や宗教的拠点、交通路などから、ユネスコによる世界遺産登録基準のうちiii(消滅した文明や文化的伝統の証拠を示すもの)とiv(ある様式の建築物あるいは景観のすぐれた見本となるもの)に該当するとしたが、イコモスの評価は厳しいもの。各資産の精神的・文化的側面は認めながらも、「それ以外の要素は物的証拠が少ないか(史跡、防御的要素)、限定的か(武家館跡、港跡)、ほとんど証拠がない(市街地、権力の証拠、生活の様子)」とし、「顕著な普遍的価値を有していることを証明できていない。鎌倉の歴史的重要性が十全な形で示されていない」と断じた。 構成資産として21の史跡を挙げながら、鎌倉時代の「遺産」は鎌倉大仏、瑞泉寺庭園、切通しなどわずか。建築物の多くは室町以降の創建か関東大震災後に再建されたもので、「武家の館」に至っては北条氏常盤亭跡のみと、きわめて限定的だ。保護管理体制や都市化する周辺環境・景観への懸念、慢性的な交通渋滞なども落選理由として報じられたが、やはり「武家政権の存在を決定づける物証」に欠けたことが致命的だった。