震災で離ればなれになった親子、入試直前の子供たち「今やるべきことをやる」
令和6年能登半島地震から約1か月。被災地では、多くの子どもたちが親元を離れ、集団で避難生活を送っていた。避難を機に、離ればなれになった親子。それぞれの歩みを取材した。 【動画】避難生活で離ればなれになった親子
入試直前の息子「勉強どころじゃない」
最大震度7を記録した令和6年能登半島地震。石川県輪島市では100人以上が亡くなった。発災から3日目を迎えてもなお、激しい揺れが続いた輪島市。大規模な火災が発生した「朝市通り」をはじめ、町並みは大きく変わり果てていた。
そんな町並みで、中京テレビ「キャッチ!」が出会ったのが平野さん親子。父・平野崇さんと、息子・俊輔さんだ。家族と避難所生活をする中、必要な薬などを家に取りにきたという。「かろうじて隣の家が丈夫な家だったので、こっちに傾いて全壊を免れた感じです」と家の前で話す崇さん。
家は壁紙が剥がれ落ち、室内には家具が散乱、天井は一部落ちてしまっていた。キッチンには倒れて扉が開いたままの冷蔵庫。そんな家から崇さんが持ち出していたのが、「やかん」だ。
「かろうじて水が残ってたので、手洗いとかにもって行こうかなと。水の配給は来ていないので、お茶とかはあるけど水が無くて」と、持ち出した理由を話す。被災地は、一杯のやかんの水さえも貴重なほど生活がままならない状況だった。
高校3年生の息子・俊輔さんには、別の心配もあった。1月13日・14日に、「大学入学共通テスト」が控えていたのだ。「学校があるのかないのか、町もどうなっているのか分からない。勉強どころじゃ無かったですね。なんかもう...どうすればいいんですかね」と不安な胸中を明かした俊輔さん。受験という大きな転機を控えるなか、失われた日常に困惑していた。
輪島市から250人以上の中学生が集団避難
地震の影響は、子どもたちの“学びの場”にも広がっていた。震災後、多くの人々が学校を避難所として利用。被害の大きかった地域では、ほとんどの学校が始業式を迎えられず、授業の再開が遅れていた。
そんな状況をふまえ、輪島市から250人以上の学生が白山市へ集団避難を実施。輪島市の中学生3年生山下明日凪さんも、集団避難を決意した一人だ。出発当日、家族に見送られて家を出た明日凪さん。「昨日はみんなで最後、楽しくご飯を食べたりできました」と出発前夜に過ごした家族の時間について教えてくれた。続けて、「寂しいですけど2か月は意外とすぐだと思うので、頑張ってこようと思います」と話す。集団避難する中学生たちは、約2か月間、白山市の施設に寝泊まりし、授業を受ける予定だ。