【密着】ドミニカ共和国で伝統楽器グイラ奏者に 収入ゼロの中、奮闘する息子へ届ける母の想い
中米・カリブ海のドミニカ共和国。ここで打楽器「グイラ」を演奏する福島克実さん(32)へ、神奈川県で暮らす母・増美さん(56)が届けたおもいとは―。
プロとして活動するもバンドが解散。収入はゼロに
克実さんが操るグイラは、「メレンゲ」というドミニカ発祥のダンスミュージックに欠かせない伝統楽器。形は筒状で、ステンレスの板にひとつひとつ手作業で打ち出した突起がついている。多いものでは1万5千個もある突起が音の源となり、ガンチョという道具で叩いたりこすったりすることで音やリズムを奏でる。「見た目は簡単そうだなと思ったんですけど、いざやってみると激ムズって感じで、これはちょっと奥が深いなと…」。最初は趣味程度で始めた楽器だったが、どんどんのめり込んでいったという。 克実さんはバンドに所属しプロとして収入を得ていたが、1年ほど前にバンドが解散。現在はいわば無職で、新たなバンドを見つけるため飛び込みで営業活動に励んでいる。夜、生演奏が売りのレストランを訪ねては演奏の交渉。門前払いされるのも日常茶飯事で、たとえステージに上がれたとしてもお金は一切もらえない。不本意ながら、そんな日々がもう1年近く続く。こうしてライブが集中する週末だけ、首都のサントドミンゴで活動している。 母・増美さんは、息子がグイラ奏者になったことに驚いたものの、嬉しくもあったといい、「自分からやりたいことがあっても行けないような子だったので、やってくれたな」と語る。ただ、実際現地でどんな風に収入を得て暮らしているのかわからず、心配していた。
人生で初めて自らやりたいと思って決めたグイラの道へ
小さい頃は泣き虫でおとなしかったという克実さん。10歳の時に両親が離婚。その後、母のパートナーである庄介さんと一緒に暮らすことになった。庄介さんは克実さんを強い男に育てようと懸命に向き合い、あえて厳しく接していたという。克実さんは、「自分にとって世界一怖い人だった。でも、それだけ自分に向き合ってくれたってことじゃないですかね」と振り返る。 ミュージシャンだった庄介さんの影響で、世界中の音楽に触れた克実さんは、ドミニカ発祥の音楽「バチャータ」のとりこになり、24歳で初めて本場へ。それから何度もドミニカに通う中で、26歳の時にたまたまグイラを手にする。シンプルながら奥深い楽器に魅了され、プロの演奏者になることを決意。人生で初めて自らやりたいと思って決めた、自分の中の大きな目標だった。しかし一方で、庄介さんは病に倒れ、その思いを伝えられないまま帰らぬ人となった。