【ぴあ連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第12回)地球の裏側で起こった大合唱
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。 【すべての画像】当時のサンパウロの新聞コピーほか 第12回 地球の裏側で起こった大合唱 アルバム『Out Of Town』(1987年9月)から、次の『海がここに来るまで』(1993年6月)のあいだは、6年の間隔が空いている。とは言え、曲作りだけは継続して行っていて、引っ越しをするたびに大量の機材を持ち運んではデモテープを作っていた。そういったことのすべてが『海がここに来るまで』で結実するわけだが、やはりそれにはそれだけの時間が必要だったということだろう。 この6年のあいだに、僕にとって重要な出来事があった。1988年6月から7月にかけてのことだ。今でも鮮明に憶えている。 アントニオ・カルロス・ジョビン。言わずと知れたブラジルを代表する伝説的なアーティストだ。「ボサノヴァの父」として「イパネマの娘」や「おいしい水」などの名曲を数多く世に残した偉大な人物だ。なんと、彼と彼の息子のパウロさんをはじめとしたジョビン・ファミリーと競演することになったのだ。しかもサンパウロで。 きっかけは、日本からブラジルへ渡った移民の80周年を記念したイベント「エキスポ-日伯80」に招待されたことだった。けれど──、どうして僕が? 理由は、ブラジルの日系人の方達のあいだで「なごり雪」と「22才の別れ」がカラオケで大人気なのだということだった。当たり前だが、そんなことはまったく知らなかったので驚いた。まさか地球の反対側で僕の曲を歌ってくれているなんて。まして、敬愛するアントニオ・カルロス・ジョビンとそのファミリーとの共演ができるなんて。僕は張り切って自分の曲をボサノヴァ・アレンジにした譜面をいくつも書いて、向こうへ渡る何ヵ月も前に送った。