アメリカの極悪刑務所に10年間服役…!出所したヤクザがカタギになり「子どもの未来」を育成する活動を始めたワケ
シノギで月に3000万円を稼ぐも…
厳しいヤクザの下積み生活。当然、ケイ氏も「この世界でエラくなる」という野望を抱いていたと話す。だが、日本がバブル経済に突入したことで、「エラい」の価値観に大きな変化が訪れたという。 「バブルに入ってからは、それまでの“強い人”ではなく“カネを持っている人間”がエラいという世界に変わりました。そんな時代だから、自分はヤクザでエラくなろうという気持ちがなくなってしまったんです。組で出世をすると、その分上納金も取られ、本部当番などで体も取られる。ならば、もっとも下っ端で最低限の上納金5万円だけを払い、『組の名前を使って好きなことをやっていたほうがいいじゃないか』という考えになったというわけです」 バブルの恩恵を受けたケイ氏は目論見通り、大金を稼ぐことに成功する。 「流行っていたポケットベルのケースをクロコで作り、1万5000円で販売していましたが、これが飛ぶように売れました。後は、当時のヤクザが持っていたクロコのセカンドバッグを安く作って30万円で売っていて、これもすごく売れた。月に3000万円くらいは稼いでいたんじゃないかな」 そんなケイ氏が1993年、29歳の時にFBIのおとり捜査によって逮捕されたのは、前述の通りだ。 「当時、自分は毎月サイパンでシノギをしていたのですが、可愛がっていた人間がグアムで逮捕された。自分はサイパンにいたのでそのことを知らなかったのですが、彼は警察から『日本のヤクザをヤクで逮捕させてくれたら、お前は見逃してやる』という取引を持ち掛けられたんです。 彼から突然、『イタリア人の中で唯一の日本人として覚醒剤の段取りをしている人間がいる。困っているから助けてくれないか? 』と言われました。まず、当時の組ではヤクはご法度でしたし、自分はカネもありましたから『そんなことやらないよ』『そんなことをしたら捕まるし、いつ出所できるか分からない』と拒否していたのですが、ある時サイパンに行ったら、いきなりその困っているという日本人を紹介されました。 『同じ日本人なのだから助けてください』『ハワイに見本だけでも持ってきてくれ』と執拗に懇願され、見本から始まり、最終的には3キロの密輸に協力することに。もちろん、取引の動きはFBIに筒抜け。最後は滞在先であるハワイのホテルのトイレで逮捕されました」