【障がい児を育てながら働く⑩】4年半ぶりに復職。しかし時短勤務できるのは子どもが小3の終わりまで。「あと何日、働ける?」日々募っていく"焦り"
「復職した最初の半年は、それまでとは全く違う新しい仕事に慣れるのでせいいっぱいでしたし、所属長以外にはよほど業務上必要に迫られるか、身近なひとでないと、娘のことを話すことはできませんでした」 【セミナー動画】「障がい児を育てながら働く綱渡りの毎日」「取り残される障がい児・医療的ケア児の親たち」 ***** 「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体をご存じでしょうか? この会では、障がい児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っています。 障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。子どもや家族の暮らしを守るため、この団体は行政や勤め先への働きかけを続けています。ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしているのです。 この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の16歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんへのインタビュー、第10回です。 ―― 娘さんが4歳で保育園に入園。そしてお仕事に復帰されたのですね。 はい。4年半の産休・育休をへて、復帰しました。子どもを産むまでは、新聞記者として日本各地を飛び回り、国外出張もあり、昼夜問わず仕事をしていましたが、配属されたのは、お客さまからのご意見や情報提供を承る部署。仕事内容はがらりと変わりました。 始めこそ、記者職から外れるんだと内心しょんぼりしていたのですが、あまりにも育児が大変すぎましたし、出張や残業がないので、仕事と育児が両立しやすい部署でした。
さらに、ここではお話できないような事件や、大変なこともいろいろとありましたが、なによりも想像していた以上に仕事が面白くて……。産休前のように取材はできなくなりましたが、1万人以上の様々なお客さまからお話を伺うことができたことは、取材では知り得なかったであろうことも多く、大いに社会勉強になりました。 休職中に出会った障がい児の先輩ママからは、生涯設計の見直しを余儀なくされると言われていました。そのことは復職後、身をもって経験していくことになりましたが、私にとってはここから、また新たな人生が始まったように思います。 ―― 会社では最初から、娘さんのことをお話されていたのでしょうか? 復職した最初の半年は、それまでとは全く違う新しい仕事に慣れるのでせいいっぱいでしたし、所属長以外にはよほど業務上必要に迫られるか、身近なひとでないと、娘のことを話すことはできませんでした。 所属長は、特別支援学校の教員を経て入社し、社会部などで活躍していた人でした。公私ともに相談にのっていただき、1つ悩みを話すと私以上に、状況を分かってくださるような方でした。
工藤 さほ